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32枚のシングルで振り返るサウンドガーデン

5月17日、SOUNDGARDENのクリス・コーネルが他界した。享年52歳。クリス・コーネルなくしてSOUNDGARDENは絶対に存在しない。偉大なシンガーであり、偉大な作曲者であり、偉大な詩人であった。追悼の意を込めて、SOUNDGARDENの活動をシングルで振り返ってみた。

5月17日、SOUNDGARDENのクリス・コーネル(Chris Cornell)が他界した。享年52歳。THE DOORSだったり、VAN HALENだったり、DEAD KENNEDYSだったり、BLACK SABBATHだったり、IRON MAIDENだったり、JUDAS PRIESTだったり、BLACK FLAGだったり。ヴォーカル/フロントマンが変わっても活動を続けるバンドはいくらでも存在するが、SOUNDGARDENにはそれが当てはまらない。「エディ・ヴェダー(Eddie Vedder:PEARL JAM)、ザック・デ・ラ・ロッチャ(Zack de la Rocha:RAGE AGAINST THE MACHINE)が後任ヴォーカル」なんて噂も立っているが、そんなのギャグにさえならない。クリス・コーネルなくしてSOUNDGARDENは絶対に存在しないのだ。それほど偉大なシンガーであり、作曲者であり、詩人であった。追悼の意を込めて、彼らの活動をシングルで振り返ってみた。

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*通常流通されたシングルのみを対象。プロモーション盤、シングルビデオは除外。

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SOUNDGARDENは、1984年にワシントン州シアトルで結成された。オリジナル・メンバーは、クリス・コーネル(ヴォーカル/ギター)、キム・セイル(Kim Thayil:ギター)、そして日系人のヒロ・ヤマモト(Hiro Yamamoto:ベース)の3人。SOUNDGARDEN以前にクリスとヒロは、THE SHEMPSというバンドで活動しており、クリスがヴォーカル/ドラム、ヒロがベースを担当していた。ヒロはTHE SHEMPSを脱退するが、そのあとに入ったのがキム。キムとヒロ、そしてのちにSUB POP RECORDSを立ち上げるブルース・パヴィット(Bruce Pavitt)は、イリノイ州パークフォレストのリッチイースト高校の同級生で、高校卒業後に3人でワシントン州に移住。そこで出会ったのがクリスであった。SOUNDGARDENというバンド名は、シアトルのマグナスン・パークにある〈A Sound Garden〉というアート作品が元になっている。

SOUNDGARDEN結成当初はクリスがドラムを兼任していたが、1985年にスコット・サンキスト(Scott Sundquist)が加入。同年には、シアトルの老舗レーベルC/Z RECORDSからのコンピレーションアルバム『Deep Six』への参加が決まったため、SOUNDGARDENとして初めてのレコーディングを行う。収録曲は「Heretic」、「Tears To Forget」、「All Your Lies」の3曲。ちなみにこのコンピレーションには、MUDHONEY、PEARL JAMの前身バンドであるGREEN RIVERから、HALO OF FLIESのメンバーであり、AMPHETAMINE REPTILE RECORDSを生んだトム・ヘイゼルマイヤー(Tom Hazelmyer)のTHE U-MEN、さらには名プロデューサーであるジャック・エンディノ(Jack Endino )率いるSKIN YARD、そして御大THE MELVINSも参加していた。1986年には、スコットに変わり、SKIN YARDのメンバーであったマット・キャメロン(Matt Cameron)が加入。そして遂に1987年1月、SUB POPからシングル「Hunted Down」で、デビューを果たした。

同年10月には、「Hunted Down」も収録した6曲入りEP「Screaming Life」をリリース。プロデューサーは、「Hunted Down」と同じくジャック・エンディノ。地元のラジオステーション〈KCMU〉でもプッシュされ、SOUNDGARDENの名は広く知られるようになる。ちなみにSOUNDGARDENを推していたDJのジョナサン・ポーンマン(Jonathan Poneman)は、「Hunted Down」リリースのためにSUB POPに出資をしており、「Screaming Life」リリース後にはブルースのパートナーとして、SUB POPの共同経営者になっている。

1988年8月には、ミュージシャンでありながら、NIRVANAからBEAT HAPPENING、UNWOUND、SCREAMING TREESなどを手がける奇才スティーヴ・フィスク(Steve Fisk)をプロデューサーに迎え、EP「Fopp」をリリース。この作品はのちに、「Screaming Life」とパックされ、再発されている。

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まだ〈グランジ〉なんて言葉は飛び交っていなかったが、既にSOUNDGARDENは〈新世代バンド〉として注目されていた。従来のハードロック〜ヘヴィメタルバンドとは異なる空気感は、まさしくパンク〜ハードコアシーンから繋がるリアルなインディペンデント/DIY精神そのものであった。そしてそのサウンドもBLACK SABBATH、THE STOOGES、BLACK FLAGが同一線上に並んでいた。それに関係しているかどうかはわからないが、1988年10月にリリースされた記念すべきSOUNDGARDENのファーストアルバム『Ultramega OK』は、SUB POPからではなく、既に声をかけられていたというメジャーレーベルからでもなく、BLACK FLAGのグレッグ・ギン(Greg Ginn)主宰レーベルであるSST RECORDSからリリースされた。翌89年には、今作から「Flower」がシングルカットされている。

バンドは全米だけでなく、初の海外公演であるヨーロッパツアーも敢行。更に『Ultramega OK』は、グラミーのベストメタルパフォーマンス賞にもノミネートされた。そして満を持して、メジャーレーベルのA&M RECORDSとの契約を果たし、1989年9月にセカンドアルバム『ラウダー・ザン・ラヴ(Louder Than Love)』を発表。プロデューサーは、METAL CHURCHからPANTERAまでこなすテリー・デイト(Terry Date)であった。このアルバムからは「Hands All Over」と「Loud Love」が、英国、オーストラリア、そして日本でもシングルカットされ、特に英国ではスマッシュヒットした。『ラウダー・ザン・ラヴ』自体も、ビルボードチャート108位にランクイン。SOUNDGARDENは、確実に次のステップに向けて進み始めたが、ここで大学への復学を希望したヒロ・ヤマモトが脱退。そしてバンドは怒涛の90年代を迎える。

NIRVANAのサポート・ギタリストだったJason Everman(ジェイソン・エヴァーマン)をサポート・ベーシストに迎え、SOUNDGARDENは、VOIVOD、FAITH NO MOREなどのオープニングアクトとしてツアーを回る。後日、旧知の仲であったベン・シェパード(Ben Shepherd)がベーシストとして正式加入し、1990年9月には、SUB POPシングルズクラブ* から「Room A Thousand Years Wide」をリリース。メジャーに移籍したものの、契約に縛られず、自由な活動を続ける彼らの姿が窺えた。

1991年9月にサードアルバム『バットモーターフィンガー(Badmotorfinger)』をリリース。ビルボードチャート39位、米国内だけでも150万枚以上のセールスを記録。再びグラミーのベストメタルパフォーマンス賞にもノミネートされた。ちなみにNIRVANAの『ネヴァーマインド(Nevermind)』、PEARL JAMの『テン(Ten)』も同時期にリリースされており、その勢いに釣られてSOUNDGARDENにも注目が集まったふしもある。『バットモーターフィンガー』からは、「Jesus Christ Pose」「Outshined」「Rusty Cage」の3曲がシングルカットされ、MTVやラジオでも頻繁にオンエアされた。ヘッドライナー・ツアーだけでなく、GUNS N' ROSES、SKID ROWのツアーにも参加。シーンの新旧交代劇は、ステージ上でも繰り広げられたのであった。

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1992年、RED HOT CHILI PEPPERS、PEARL JAM、MINISTRYらとともにロラパルーザに参加。それを記念して、限定仕様の『バットモーターフィンガー』がリリースされ、そのボーナスEP「Satan Oscillate My Metallic Sonatas (SOMMS)」では、BLACK SABBATH、DEVO、ROLLING STONESのカバーを披露している。同年には、シアトル・パラマウントシアターでのライヴを収めたビデオ『Motorvision』も発表。グランジムーヴメントを舞台にした恋愛コメディ映画『シングルス』のサントラにも参加し(クリス・コーネルはソロ名義でも参加している。)、〈シアトル〉〈グランジ〉〈SUB POP〉という強力なキーワードとともに、SOUNDGARDENは世界に名を轟かせ始めた。

1994年2月、初来日。川崎クラブチッタ、東京厚生年金会館、大阪御堂会館、名古屋クラブクアトロの4公演。客入りはイマイチであった。グランジブーム真っ只中とはいっても、ここ日本におけるSOUNDGARDENの人気は、NIRVANA、MUDHONEY、THE SMASHING PUMPKINSなどと比べると、確実に劣っていた…というより、わからなかった。「ハードロック臭が強い」「高音ヴォーカルが苦手」「ブームの前からメジャーにいた」など、日本人にとってスタイリッシュだったグランジムーヴメントのなかでは、確実に浮いた存在だった。(TADよりも!)結局、この公演がSOUNDGARDEN唯一の日本公演になってしまった。

日本はそうでもなかったが、世界は彼らを今まで以上に大きく迎え入れた。準備万端だったのだ。1994年5月、4thアルバム『スーパーアンノウン(Superunknown)』をリリース。ビルボード1位をはじめ、オーストラリアでも1位、カナダ2位、スウェーデン3位、英国4位、ノルウェー5位を獲得するなど、大成功を収める。日本でも34位と大健闘するが、やはりその差は大きかった。結局『スーパーアンノウン』は全世界で1000万枚以上を売り上げ、SOUNDGARDEN史上、最も成功したアルバムとなった。大ヒットしたもんだから、全15曲中、5曲がシングルカット。「Spoonman」「The Day I Tried to Live」「Black Hole Sun」「My Wave」「Fell on Black Days」が次々とカット。それもすべて1994年の1年間で……AKBやら欅坂やらが寄ってかかっても、まったく太刀打ちできないリリース・ペース。それほどレコード会社は、SOUNDGARDENで荒稼ぎしていたのだ。

  1. Black Hole Sun(1994) ジュークボックス7”、ピクチャー7”、カセットテープ、CDシングルPart1 & Part2仕様など、SOUNDGARDEN史上最も多い16ヴァージョンが各国からリリース. 写真は、UK盤ノーマルCDシングル.

『スーパーアンノウン』はグラミー賞ベストロックアルバム部門にノミネート。シングルからは「Black Hole Sun」が最優秀ハード・ロック・パフォーマンス賞、「Spoonman」は最優秀メタル・パフォーマンス賞を受賞。特に「Black Hole Sun」は、シングルチャートにもランクインし、SOUNDGARDEN最大のヒット曲に。クリス・コーネルの死後、様々なアーティストが追悼の意を込めてカバーしたのも、ほとんどがこの曲だった。

1995年には、時代を物語るシングル「Songs From The Superunknown」をリリース。通常盤は、「Fell on Black Days」の別バージョンや、『スーパーアンノウン』収録の「Like Suicide」のアコースティック・バージョンなどで構成されていたが、同時にリリースされた「Alive in the Superunknown」はCD-ROM盤。ビデオやフォトアルバム、ゲームなども入っていた。

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コンスタントにアルバムリリースを続けるSOUNDGARDENは、1996年5月に5thアルバム『ダウン・オン・ジ・アップサイド(Down on The Upside)』をリリース。2作連続1位は獲得できなかったものの、ビルボードでは初登場2位。世界各国でもベスト10入りを果たす。例によって、グラミー最優秀ハード・ロック・パフォーマンス賞にもノミネートされた。このアルバムからのシングルカットは「Pretty Noose」「Burden in My Hand」「Blow Up the Outside World」「Ty Cobb」の4枚。

『ダウン・オン・ジ・アップサイド』リリース後、SOUNDGARDENはロラパルーザ・ツアーに参加。そして、ワールド・ツアーを経て、「すべてやり切った」と1997年4月9日に解散を発表。前向きな解散だった。

SOUNDGARDEN解散後、クリス・コーネルは、RAGE AGAINST THE MACHINEのトム・モレロ(Tom Morello)、ティム・コマーフォード(Tim Commerford)、ブラッド・ウィルク(Brad Wilk)と〈AUDIOSLAVE〉を結成。ソロとしても活動し、2006年、映画『007 カジノ・ロワイヤル』(Casino Royale / You Asked for It)の主題歌も担当した。キム・セイルは、DEAD KENNEDYSのジェロ・ビアフラ(Jello Biafra)、NIRVANAのクリス・ノヴォセリック(Krist Novoselic)らとのパンクバンド〈THE NO WTO COMBO〉や、FOO FIGHTERSのデイヴ・グロール(Dave Grohl)によるヘヴィメタルプロジェクト〈PROBOT〉、更にはSUNN O)))/BORISの共作『アルター(Alter)』などに参加した。ベン・シェパードとマット・キャメロンは、90年代初頭に活動していたHATERの発展型バンド〈WELLWATER CONSPIRACY〉を復活させながら、マットはPEARL JAMに加入し、ベンはSCREEMING TREESのマーク・ラネガン(Mark Lanegan)などの作品に参加していた。

そして2009年3月15日、いきなり奇跡が訪れる。トム・モレロが主催したジャスティス・ツアーのシアトル公演で、キム、マット、ベンの3人がいきなりステージに上がり、「Nothing to Say」、「Spoonman」、「Hunted Down」を披露したのだ。クリスは参加できなかったため、代わりにヴォーカルを務めたのはTADのタッド・ドイル(Tad Doyle)。にわかにSOUNDGARDENの復活が現実味を帯びてくるなか、遂に2010年の元旦、クリスはツイッターで「12年ぶりにセッションした」と投稿。オフィシャルサイトでは、メーリングリストの登録が開始され、超レア盤となっていたデビューシングル「Hunted Down」を同年のレコードストア・デイで再発、と発表。そう、SOUNDGARDENは復活したのだ。

2010年4月16日、シアトルの〈Showbox〉にて、再結成後の初ライヴ。同年夏には、ヘッドライナーとしてロラパルーザにも参加。10月にはコンピレーションアルバム『Telephantasm』をリリース。この作品からは、ミュージックビデオゲーム『Guitar Hero: Warriors of Rock』にも使用された「Black Rain」がシングルとしてリリース。同曲は、『バッドモーターフィンガー』制作時のセッションをアレンジしたもの。しかし時代は変わり、今作はダウンロードオンリーでリリース。

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さらに「Screaming Life」時のセッションをスティーヴ・フィスクがリミックスした「Telephantasm」も、ブラックフライデー版レコードストア・デイに限定7”シングルとしてリリースされた。

翌2011年のブラックフライデー版レコードストア・デイでは、EP「Before The Doors: Live On I-5」を発表。今作は、ライヴアルバム『Live On I-5』との連動リリースであり、そのタイトル通り、ライヴ前のサウンドチェック音源が収録されていた。

復活してから、なかなか新曲を発表してくれなかったSOUNDGARDENだが、2012年4月、遂にピッカピカのニューソング「Live to Rise」をリリース。それは、映画『アベンジャーズ』(Marvel's The Avengers)への提供曲であった。重厚なリフとグルーヴ感、繊細な曲展開、そしてクリス・コーネルの放つ完璧な歌メロは、どこからどう見ても、どう聴いてもSOUNDGARDEN。シーンは手放しで彼らの帰還を歓迎。チャート・アクションも好調だった。

そして、全世界待望のニューアルバム『キング・アニマル(King Animal)』が2012年の11月にリリースされた。プロデュースは、『ダウン・オン・ジ・アップサイド』、そしてFOO FIGHTERS、PERAL JAMの作品を手掛けたアダム・カスパー(Adam Kasper)。各音楽誌、音楽サイトは絶賛し、ビルボードチャートでも5位。他国でもチャートインし、根強いSOUNDGARDEN人気をアピールした。今作からは、オープニングナンバーの「Been Away Too Long」がシングルカット。

もう決まりごとのように、2013年のレコードストア・デイでもSOUNDGARDENはスペシャルEPをリリース。「King Animal Demos」は、その名の通り、『キング・アニマル』製作時のアウトトラックを集めたものである。

2014年には、NINE INCH NAILSとDEATH GRIPSという凄いメンツでツアーを開始。また秋には、3CDボックスセットのコンピレーション『Echo of Miles: Scattered Tracks Across the Path』をリリース。ここからは、1985年の未発表曲「The Storm」をジャック・エンディノの下で再レコーディングし、タイトルもシンプルに「Storm」としてシングルカットされた。しかしこの曲が、クリスが在籍するSOUNDGARDENのラストレコーディング・ナンバーとなってしまった。

2015年に入ると、SOUNDGARDENは、『キング・アニマル』に続く新作の準備を始めた。2016年のレコードストア・デイでは、1992年のロラパルーザ限定仕様『バットモーターフィンガー』のボーナスEPであった「Satan Oscillate My Metallic Sonatas (SOMMS)」を単独リリース。

同年8月には、お茶の間のテレビから頻繁にSOUNDGARDENが流れ始めた。T-モバイルのCMに「Spoonman」が起用されたのだ。それもただの「Spoonman」ではない。「Remixed By Steve Aoki」バージョンであった。良いんだか悪いんだか……

また、11月には『バットモーターフィンガー』25周年記念スペシャルエデションの発売にともない、「Birth Ritual (Studio Outtake)」と「Searching With My Good Eye Closed (Live At The Paramount Theatre, Seattle / 1992)」の2曲がダウンロードだけでリリースされた。

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そして2017年を迎えた。ファーストアルバム『Ultramega OK』がリマスターされ、3月にSUB POPから再発。それに先立ち、1月にはシングル「Beyond The Wheel (Early Version)」がダウンロードのみで、こちらもSUB POPからリリースされた。

これがSOUNDGARDENのラストシングルだ。新曲ではないものの、ファースト・シングルをリリースした古巣のSUB POPから。非常に感慨深い。あれからちょうど30年。グランジムーヴメントを乗り越えて、SUB POPは老舗インディペンデントレーベルとして、確固たる地位を築いている。SUB POPもSOUNDGARDENと歩んできたのだ。確実に歴史がひとつ終わった。

復活してからは、コンピだの、再発だの、ライヴだの、見落としてしまうほど細かなリリースが続き、正直いって食傷気味であったのだが、「2017年はサウンドガーデンに100%専念」とクリス・コーネルは語っていた。制作が遅れていた新作も近い将来に聴ける予定だった。空白の時期もあったが、あらためて33年間のSOUNDGARDENの軌跡を辿ってみても、まったく満足していない自分がいる。このバンドには、まだまだとてつもない未来が待っていたのだ。それを誰よりも実感していたのは、クリス・コーネルだったに違いない。