TENG GANG STARRは、MCだけでなく〈3-i〉の別名義で、トラックメイクやMV制作も手掛ける〈kamui〉と、元ホームレスという特異な経歴を持つ、フィメールMC〈なかむらみなみ〉によるヒップホップユニットだ。NEO TOKYOに生きる健康優良不良少年然としたkamuiに対して、みなみは原宿KAWAiiカルチャーから飛び出してきたかのようなルックスだ。2015年に3人組として結成されたが、メンバーの脱退により活動休止。約1年の沈黙を経て、2017年に再始動し、MIYACHIやMinchanbaby、WillyWonkaといった話題のラッパーを客演に迎え、様々なタイプの楽曲をドロップし続けている。

『AKIRA』や『ブレードランナー』を思わせる近未来的な世界観とトラップが融合したビートに、ふたりのヴィジュアルからは想像できない、多くの言葉数が詰め込まれた攻撃的なラップが乗る。「今も昔もいつもポジティブ」「夢に生きる俺たち 夢で生きるこの街 すべてデタラメ だけど俺ら高く飛ぶだけ」という前向きなメッセージが炸裂する〈Livin’ The Dream〉。香港でMVが撮影された「家族バラバラ 顔も忘れた」「小3で親 家族いない」という、ラップが印象的な〈DaTuRa〉。TENG GANG STARRの楽曲はYouTubeで何度も視聴したが、彼ら自身に纏わる情報は、ネット上には見当たらない。MVやライブを観て、興味を持ったとしても、素性はほとんどわからない。TENG GANG STARRは正体不明のグループだ。

「今までネットに書いたりしなかったけど、本当は話したいことがめちゃくちゃあるんですよ」

ふたりはこちらの予想に反して、堰を切ったように話し始めた。TENG GANG STARRのリリックで描かれている、ふたりの生い立ちと音楽活動について解き明かす。

kamuiは名古屋で生まれ育った。家庭環境は不安定で、母親は離婚と再婚を繰り返していた。幼い頃に両親が喧嘩し、家を飛び出した母親を泣きながら追いかけた記憶は今も残っているという。

「小学校低学年のときに両親が別居したんですけど、俺は離婚してるとは思っていなかったんですよ。また、いつか皆で一緒に暮らせると信じていました」

kamuiがトラックメイクやMV制作する際に使用する〈3-i〉という名義には、〈3人の自分〉の意味が込められている。親の離婚で小学校、中学校にかけて名字が2度変わったからだ。さらに、中学時代に図書室で読んだ、白土三平の『カムイ伝』に感銘を受け、kamuiを名乗り始める。小学6年のときに、初めて親の離婚の事実を知ったkamuiは、次第にグレていく。

「中学時代に、連んでたやつらは、窃盗で捕まって鑑別所に入れられたりして、気が付いたら学校に通ってる友達がいなくなっちゃって。俺は授業に出ないで、ひとりで学校の多機能トイレに引き篭もったり、空を眺めたりしてましたね。学校でトイレに篭ってるやつがいるって噂になって、人生相談しに来るやつもいました」

自身を取り巻く環境に疑問を感じ始める最中、kamuiはヒップホップと出会う。もともと音楽に興味はなかったkamuiだが、偶然乗ったタクシーのラジオから流れてきた、エミネム(EMINEM)の〈Lose Yourself〉に衝撃を受ける。

「〈Lose Yourself〉は『エイトマイル』(8 mile, 2002)という映画の主題歌だと知ったんですけど、当時は年齢制限で映画を観れませんでした。仕方ないのでサントラを買ったら、劇中でかかる曲のコンピで〈Lose Yourself〉が入ってなかったんですよ(笑)。でも、モブ・ディープ(Mobb Deep)とかノートリアス・B.I.G(The Nortrious B.I.G)が入ってて、『エミネムはいねーけど、これはめっちゃカッケーぞ』って。そこから使命感に突き動かされて、トイレでリリックを書き始めました(笑)」

以降、kamuiはリリックをしたため、ラップの練習に明け暮れるようになる。どんどん音楽にのめり込むも、母親の再婚相手との関係が上手くいかず、定時制高校卒業後、kamuiは音楽活動を目的に上京を果たす。

「実際に住まないとわからないですけど、名古屋って保守的な場所なんです。都会だし、何でも手に入る。でも、俺は満足してなかったし、居場所もなかった。東京で音楽をやりたかったんです」

しかし、上京当時のkamuiは、自身の感情をコントロールするのが非常に苦手だった。街中に貼ってある、選挙ポスターを引き裂き、公職選挙法違反で現行犯逮捕されたこともあった。

「感情の起伏がものすごい激しかったんです。選挙ポスターってどれも笑顔じゃないですか? ある日、イライラしているときに選挙ポスターに笑われてるような感覚に陥って、家から駅まで貼ってあるポスターを、白昼堂々ビリビリに破いたんですよ。そしたら現行犯逮捕されて、『すぐ出れるかな?』と思ったんですけど、結構重い刑になってしまったんです。しかも、刑事にアナーキストだと勘違いされて、一斉に各政党が被害届を出したらヤバいかもって。母親にもすごい心配をかけましたね」

母親は留置所のkamuiに本の差し入れをした。もともと、本や映画には関心がなかったが、母親から差し入れされた、吉本隆明の詩集とニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』を読み、kamuiの心境に変化が現れる。

「物事や自分を取り巻く状況を言葉でいかに切り取ることができるか、言葉で勇気付けられることを改めて知りました。このままではいけない、と生き方を変えようと決めました」

kamuiとみなみは、2015年に共通の友人を介して知り合う。すでにkamuiは、ソロ活動を始めていたが、作品づくりに没頭するあまり、音楽活動に楽しさを見出せなくなっていた。行き詰まりを感じ始めた結果、アプローチを変え、メンバーのキャラを重視した活動にシフトしようと考えていた。

「そんなときに、みなみのライブを観たんですけど、変態の外国人を踏みつけながら、キメ顔をしてたんです。皆が笑ってたんですけど、俺にとっては笑い事じゃなかったですね。しかも、みなみは会うたびに髪の色も変わるんですよ」

みなみは、自分の髪をポスカで塗りたくっていたという、衝撃的なエピソードを平然と話す。kamuiは、みなみの生い立ちや育った環境からヒップホップを感じていた。ポスカで髪を染めていた頃のみなみは、ホームレスだった。みなみは母親の薬物使用について口を開く。

「私はお母さんが薬物の使用と売買で捕まったりして、親戚の家に住んでいたんですけど、ヤンキーとか不良とかいわれて、追い出されました。それで、お友達の家にいたんですけど、やっぱり申し訳なくなり…。それで道とかで寝ていました。寝れば朝になるし、余裕じゃないですか。場所は秘密なんですけど、ホームレスにとって住みやすい場所があるんです」

みなみが、ホームレスとして生活をしていたコミュニティには、TENG GANG STARRを脱退した元メンバーもいた。kamuiは、つくった曲をふたりに聴かせ続けた。そのなかで初めて納得できたのが、「田代まさしマジでノーマーシー」というHookが印象的な〈NO MERCY〉という曲だった。kamuiはトラックができた段階で、田代まさしについての曲にしようと決めていた。

「お母さんが、薬物の使用でダルク(DARC)に搬送されてから、ドラッグ依存を告白する集会に足を運んでたんですよ。ある日、私が母親に連れられてダルクの集会に行ったら田代まさしさんがいました」

こちらの質問に答えるみなみの目の前には、字やイラストがびっしり書き込まれた紙が散在している。インタビューにすぐに応えられるようにと、事前に自身の経歴をまとめてくれていた。ラップをする姿からは想像できない、律儀な姿勢に驚かされたが、その紙に書かれているのは、世間の常識を打ち破るエピソードの数々だった。母親は4才のみなみを連れて、クラブやホストクラブに通っていたのだ。みなみは、クラブで母親と一緒に踊り、ホストのド派手な出迎えを楽しんでいた。

「3才のときに、お母さんが離婚して、おじいちゃんとおばあちゃん家の近くの藤沢市辻堂に引っ越しました。近所の歩道橋から、弟と電車を見るのが好きでした。ふたりで、オレンジ色の電車を何本見たか勝負して…一緒に見てるから同じなんですけど(笑)。あと、藤沢駅と辻堂駅の間の線路は真っ直ぐなんですよ。だから電車が曲がると思ってなくて、線路を歩けばどこにでも行けると信じてました」

ハタチでみなみを産んだ母親は、日中に家で睡眠を取り、夜遅くに男と帰宅する生活を続けていた。そんな状況を知っていた近所の住人たちは、みなみの様子を見に来たり、ときには食事も用意してくれた。

そんな近隣住民との付き合いから小学生時代に、藤沢にある辻堂諏訪神社で、みなみは太鼓を習い始める。ほぼ毎日神社に通い詰め、太鼓以外の祭り文化にも造詣を深め、今では子供たちに太鼓を教えるまでになった。

「本当に神社のかたには良くしてもらいました。先代にいわれたように、自分も困っている子がいたら助けてあげたいです」

当時を振り返るみなみに悲観している様子はなく、こちらが驚くほど明るくインタビューに応じてくれる。みなみの天真爛漫さと、サグすぎる逸話のギャップに驚かされる。

「学校で仲の良かった友達に、お母さんとか家庭の話をしたら、次の日から会話をしてくれませんでした。中学生になったときに、その友達から『あのときはお母さんに、みなみちゃんと遊んだらダメって言われていた』と聞かされ、あんまり人に話しちゃダメなんだと思いました。それでも友達や辻堂の人たちは大切に想っています」

TENG GANG STARRを結成したkamuiとみなみは、自身の生い立ちをヒップホップにぶつけて表現した。そして〈NO MERCY〉などを収録したMIXTAPE『SCHOOL KILL』を配信する。しかし、理想どおりの活動はできず、ブッキングにまとまりがないようなイベントにも出演していた。

「格好良くも面白くもないライブを観ながら、皆がフロアで気持ち良く踊ってるんです。俺らはずっと裏で煮えたぎってて、出番になった瞬間、『お遊びはここまでだ』って暴れまくってました。ドン引きでしたね」

kamuiは、保守的に感じていた地元を飛び出したのに、保守的な空間でしか活動出来ない状況にジレンマを抱え始めていた。同時期にメンバーが脱退したのを契機にTENG GANG STARRは活動を休止する。

「ライブも何度か誘われてたんですけど、メンバーが減ってモチベーションも上がらなかったので全部断りました」

そして約1年の活動休止を経て、kamuiは改めて楽曲とMVをつくり、積極的に他のラッパーと関わり、TENG GANG STARRを再開させた。

「何でもできるからやってるわけではなくて、やらざるを得ないからやってるんです。それなりに追い込まれてるんですよ。でも、ラップが出来て、MVもつくれるのは自分の才能だとも思っています」

kamui曰く、初期からTENG GANG STARRを高く評価していたのは、ERONE、Willy Wonka、Minchanbaby…と、多くが関西のラッパーだった。関西勢の彼らにとって、ヒップホップは、上手さや格好良さだけでなく、ユニークさも評価の対象だからだろうとkamuiは言う。kamuiに、関西で活動していくつもりはなかったのかと訊くと、「まったくなかったですね」という答えが返ってきた。

「今まで評価されなかったやつが、いかにシーンを変えられるかが面白いじゃないですか。これは偏見かもしれないけど、東京のラッパーって〈のし上がったる感〉を出さないなって。そこで違いは見せていきたいです」

kamuiは音楽活動を自己満足で終わらせないように、しっかり観客を惹きつけていきたいと前向きな夢を口にした。

「俺らを嫌いだったやつとか、昔から応援してくれている人たちに、成長している姿を見せたいです。見た目がこんなんだし、とやかく言われるけど、格好良い曲をつくって、黙らせればいいんだろって。そのための努力なら惜しまないです」