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New York Hardcore Punk Guide : JUDGE

クロスオヴァーではないメタルとの融合。

VICEにて絶賛放映中の「There Will Be Quiet ― ユースクルー~モッシュ・ハードコアの祖 JUDGE物語」。もうご覧頂けました?友だちもおらず、カモられキッズだったマイク・ジャッジが、ハードコア・パンクという居場所を見つけ、更にシーンのアイコンへと成長。しかし突如姿を消してしまった彼らの貴重なドキュメンタリー・シリーズです。もちろんJUDGEというバンドを知らなくても、ハードコアって音楽を聞かなくても、この人間ドラマは実に胸に響きます。でもJUDGEのこと、そしてこの音を知れば更に響くこと必至。ぜひJUDGE感動倍増計画にご参加くださいませ。

JUDGEは1987年にニューヨークで結成されたストレート・エッジ・ハードコア・バンド。DEATH BEFORE DISHONORでバンドキャリアをスタートさせたマイク“ジャッジ”フェラーロが、のちにドラマーとしてYOUTH OF TODAYに加入。そしてそのギタリストだったジョン・ポーセルと二人でプロジェクト的に開始しました。二人だけでレコーディングしたデビュー・シングルが「New York Crew」。ポーセルとアレックス・ブラウン(GORILLA BISCUITS、SIDE BY SIDE、PROJECT X etc)がやっていたファンジン/レーベル「Schism」から88 年にリリースされました。

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はてさてその前に…。「ストレート・エッジってなんすかー?」ですよね、やっぱ。ココ頭に入れて置くと、物語は1000倍面白くなるのでぜひ!

「クスリはやらない」 「酒も飲まない」 「誰かれ構わず、快楽だけのセックスはやらない」

まずはこれが基本で、更にヴェジタリアン、禁カフェインなどの要素も加わってきます。この考えを提唱したのがイアン・マッケイ(TEEN IDLES、MINOR THREAT、FUGAZI)。反体制からスタートしたはずのパンクが「セックス、ドラッグ、ロックンロール」の世界に染まっていたことに苛立ちを覚え、自身の周りから改革を進めて行ったのです。特にアルコールを摂取したアーティスト、オーディエンスがライヴハウスで馬鹿騒ぎしたり、暴力行為などに及ぶ状況に辟易していたイアンは、自らの手の甲に「×」マークを書いて「酒なんか必要ない」と宣言。この「×」マークなんですが、「コイツは未成年だから酒はダメ」と、キッズがライヴハウス入場時に手の甲に書かれる印だったんですね。それを自らシンボルとし、TEEN IDLESのシングル「Minor Disturbance」ではジャケットにも登場。更に次のMINOR THREATではズバリ「Straight Edge」や、先ほどの三原則を歌詞にした「Out Of Step」などの曲を発表。ストレート・エッジという考えは一気に定着して行ったのでした。

しかしそんなイアン・マッケイの提唱は、広がると共にどんどん尾ひれはひれが付いて行きます。元々イアンはシーンを作ろうと思っていた訳でもないし、押し付けるつもりもなかった。でも一部でこのストレート・エッジは、狂信的で暴力的なムーヴメントに結びついてしまったのです。「コイツ、酒飲んでやがる!ボコボコにしてやる!」みたいな。そして残念ながら、JUDGEもそっち系のイメージが付いてしまい……。

さて、話を戻しましょう。Schismからリリースされたデビュー・シングルが大反響!バカ売れも果たし、89年には名門REVELATION RECORDSより再発されます。そしてJUDGEは正式なバンドとしてスタート。ベースにジミー・ユー(DEATH BEFORE DISHONOR)、ドラムにルーク・アビー(WARZONE、GORILLA BISCUITS)を迎えてライヴ活動も開始。更にマット・ピンカスがベース、サミー・シーグラー(SIDE BY SIDE、YOUTH OF TODAY、PROJECT X)がドラムにチェンジして、ファースト・アルバムをChung Kingスタジオでレコーディングしたのですが、この作品の出来に納得しなかったメンバーは、再レコーディングすることを決定。ただこのオリジナル・アルバムに既に予算をかけていたのがリリース元であるREVELATION RECORDS。当時はまだまだ小さなインディペンデント・レーベルであったので、お蔵入りするほど余裕はなかったんですね。そこで妥協案として、既に予約していたファンを中心にたった110枚だけプレスして販売。タイトルは『Chung King Can Suck It LP』。その後オークション・サイトでは超高値で取引されていましたっけ。

で、CRO-MAGSの『Best Wishes』などを録ったことでも知られるスタジオ、Normandy Soundに移って無事に再レコーディングを敢行。正式なファースト・アルバムである『Bringin' It Down』をリリースし、ライヴも連日大盛況。90年にはシングル「There Will Be Quiet…」も発表し、下火になっていたニューヨークのストレート・エッジ・シーンにおいて、JUDGEは確実に救世主となったのでした。

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さてJUDGEがなぜココまで支持を集めたのか?まずはその音楽性にあります。これまでのバンドと圧倒的に違ったのはメタルとの融合。例えばCRO-MAGSやAGNOSTIC FRONT、CRUMBSUCKERS、LEEWAYがメタルを取り入れたと言っても、そこにはクロスオヴァーというキーワードが浮かびます。ただJUDGEはハードコアの基盤を崩さず、重厚なメタル・リフとモッシュ・パートを導入。メタル的でありながら、更なるガッチガチのハードコア像を築き上げたんですね。そしてもう一つがストレート・エッジの上を行く「ハードエッジ」な姿勢。これまでのニューヨークのストレート・エッジ・バンドと言えば、YOUTH OF TODAYを筆頭に、前向きで健全、そしてそこには仲間意識が確実に存在していました。しかし、盟友であったYOUTH OF TODAYが様々な世間からの軋轢により解散すると、その怒りをJUDGEが買った!意図的にダークでハードな歌詞を書き、闘争的で威圧的なステージを展開し、まるで説教のように反ドラッグ、反アルコールをがなり立てる。そんな彼らの噂は瞬く間に広がって行きます。しかしショーにはスキンヘッズも来るようになり、予想だにしていなかった暴動も勃発し始め、決して暴力を推奨していた訳ではないのに、大きく勘違いされたJUDGEはどんどん一人歩きしてしまうのです。そんな現実に直面し、理想を砕かれてしまったJUDGEは、91年にその短い活動に終止符を打ったのでした。

JUDGE解散後、マイク・ジャッジはよっぽどハードコア・シーンに懲りたのか、MIKE JUDGE & OLD SMOKE と名乗ってニール・ヤングを彷彿させるアコースティック・プロジェクトを開始。アルバム『Sights…』を93年にリリースします。これが本当にエモい!泣ける!同じヴォーカリストとは思えない!JUDGEでの時間を経てのこの音楽はスゲエ胸に響きます。ま、当初、ファンは相当戸惑ったと思いますが…。

ポーセルはSHELTERやレーベルの運営、サミーはCIV、RIVAL SCHOOLS、更にはLIMP BIZKITも手伝いました。マットはHOT WATER MUSICやERRORTYPE 11などを輩出したSome Recordsを設立、その後MBAを取得して現在はSONGS Music PublishingのCEOに!更にジミー・ユーは仏門を経て、フロリダ州立大学で仏教学の准教授になっております。そんな感じでメンバーはその後も活躍していたのですが、マイクだけが『Sights…』以降、行方不明になっていました。ドイツでギャングになったとか、警官を殺したとか、良くない噂もチラホラと…。完全にこれまでの交友関係をも断ち、隠遁生活に入っていたのです。

しかしこれぞ文明の力!SNSを通じて彼にたくさんのメッセージが届きます。もちろんその中にはNYHCシーンを共に築いた盟友たちも!そして彼らとの友情、信頼関係は以前となんら変わっていなかったことに気付いたマイクは、遂にJUDGEの復活を決断するのです。

そして2013年以降、現在もJUDGEはガッチリと活動を続けております。しかしココには、アニバーサリーだとか、同窓会だとか、そしてもちろんお金のスメルなんてものは微塵も感じられません。だってマイクはハードコア・ライフを中途半端に止めてしまっていたから。それを取り戻そうと、今を生き、ハードコア道を邁進しているんです。20年以上を経て、またもや動き出した時計の針は、あの頃のYOUTH OF TODAYのように、前向きで健全なハードコア・バンドの“JUDGE ”として再び刻み始めているのです。