ヒズボラに包囲された街の反体制派指揮官が語るシリア

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ヒズボラに包囲された街の反体制派指揮官が語るシリア

2012年の夏、アブドゥッラフマンは、反体制を標榜するマダヤとザバダニで、シリア政府軍が平和的に活動する反体制団体への容赦ない弾圧を加えるのを目の当たりにし、反政府運動に身を投じる決意を固めた。

アブ・アブドゥッラフマン(Abu Abdulrahman)はカラモウン(Qalamoun)地域の山岳地帯で生まれ育った。そこはレバノンとの国境線からたった数キロ程の距離に位置している。彼も他のシリア人と同じように、レバノンのシーア派武装組織・ヒズボラに対して畏敬の念を抱きながら幼少時代を過ごした。「彼らが自国を死守する様をとても尊敬していた」と彼は当時を振り返る。しかし、シリア内戦で事態は混迷した。ヒズボラがイスラエルに侵攻した際には、彼はヒズボラに対して尊敬の眼差しを向けていたが、現在、彼は自国の土地を守るために、そのシーア派過激派組織と敵対している。

彼は47歳の元パン職人だ。大学には進学しておらず、モスクでの説法以外、正式なイスラム教育を受けていない。現在、彼は、シリア内戦で恐らく最大の反政府勢力であるシャーム自由人イスラム運動(Ahrar al-Sham)の地方支部を率いて、首都ダマスカスの北西約45キロに位置するマダヤで、過去6ヶ月もの間、残忍なヒズボラに包囲され続けている。

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「ヒズボラはわれわれの木々を切り倒し、子供たちを飢えさせているので、今は彼らを敵対視しなければならない」

数週間に及ぶ交渉の末、この人物とのスカイプ・インタビューが実現した。1回目の交渉のさい、彼は、マダヤ周辺の反政府勢力の位置確認で忙しくしており、2回目は、反政府組織が支配しているイドリブ県の上官の許可を得る必要があった。そしてようやく、シャーム自由人イスラム運動やその指導体制ではなく、彼自身についての会話のみ録音できる、との条件のもと取材にこぎつけた。

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この男に降りかかった悲劇は、シリアで影響力の強い反体制派組織を率いる羽目になった男たちにはよくあることだ。とある小さな町のパン職人であったアブドゥッラフマンが、政治に関心を持つようになったきっかけは、アメリカ軍によるイラク侵攻である。そのときアブドゥッラフマンが目にしたのは、イラクが異教徒外国人の手に落ちる、という屈辱な出来事であった。

アブドゥッラフマンは、若い頃については言葉を濁したが、シリア軍事諜報機関との初めての接触について、どことなく自慢気に語ってくれた。2005年にイラクを異教の侵入者から守るため、国境を越えようと試みたところ、諜報機関に身柄を拘束された。バグダットで、アメリカ軍及びシーア派主体のイラク政府軍と戦うため、とは認めようとしなかった。その当時、イラクは血生臭い宗派間抗争に突入しようとしていた。

アブドゥッラフマンのように決意を固めたシリア人は、イラクとの国境に辿り着くと、シリア軍事諜報機関によりイラクに入りを阻止された。その後、彼は、バッシャール・アル=アサド大統領が反イスラム分子とみなした憂国の士を収容していた、悪名高きセドナヤ刑務所に収容された。そこで彼が「本物の偉大なるシャイフ」またはリーダーと呼ぶ、ハサン・アバウド(Hassan Abboud)と名乗る男と親しくなる。後にアバウドは、シャーム自由人イスラム運動を創設したが、2014年9月、多大なる影響力を持ったまま、未だに謎が多く残る爆破によって暗殺された。

2011年春、シリア反政府運動の高まりに伴い、アサド政権はアブドゥッラフマンやアバウドのような男たちを釈放し始めた。世間は、政権による釈放を、革命的反政府運動を唐突に激化させ、運動の威信を失墜させるための策略だ、と判断した。中には、アバウドのように反政府を掲げ、武器を携え立ち挙がる猛者がいた。

アブドゥッラフマンは、地元、カラモウン山岳地帯に戻った。彼はシリア諜報機関の取り締まりを恐れ、おとなしくするよう努めたそうだ。「収容所で拷問を受けた。だから、あそこに戻るのは嫌だった」

2012年夏、アブドゥッラフマンは、反体制を標榜するマダヤとザバダニで、シリア政府軍が平和的に活動する反政府派団体へ容赦ない弾圧を加えるのを目の当たりにし、反体制運動に身を投じる決意を固めた。彼はその頃、収容所で出会った、シャーム自由人イスラーム運動を結成した友人たちと連絡を取った。友人たちのアイデアを知り、「彼らこそがシリアに正義を取り戻す最良の組織だ」と確信したそうだ。

2013年、ヒズボラはアサド政権を支援するためにシリア入りして以来、政権の先鋒部隊としてカラモウン地域で威を振るっていた。シリア騒乱最初の数年間、アブドゥッラフマンは寄せ集めの武装集団と共にマダヤ、ザバダニの両市街からヒズボラを締め出すために戦っていた。

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当初、山岳地帯から参戦した兵士の多くは、シリア政府軍から離脱した将校たちが率いる、組織としては脆弱な自由シリア軍に集っていた。しかし、トルコや、同情を示す湾岸諸国からの安定した武器供給を理由に、次第にシャーム自由人イスラム運動に忠誠を誓い始めた。

それから3年の月日が経過したが、どちらの陣営ともこの山岳地帯を掌握できなかった。マダヤ、ザバダニに身を潜める反政府勢力を、ヒズボラは壊滅できないままでいた。

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2015年夏、国連は、ヒズボラに包囲されているマダヤ、ザバダニと、そこから200キロ以上北に離れた2つの地域を結びつける停戦合意の準備を始めた。シリア北部イドリブ県に位置するシーア派の村、フーア(Fou’a)とケフラヤ(Kafraya)は、マダヤ、ザバダニとは逆に、アブドゥッラフマンが属するシャーム自由人イスラム運動と同盟を結ぶ征服軍(Jaysh al-Fatah)によって包囲されていた。

そして、2015年9月、国連は、両陣営が停戦合意が交わされた、と発表。この合意で、イドリブ県からシーア派住民の安全な撤退を条件に、カラモウン地域の反政府勢力は、拠点を北に移転することが許された。またマダヤ、ザバダニへの人道支援は、政権派のフーア、ケフラヤ両村への支援と交換条件になった。

過去6ヶ月間、この合意は、思い出したように実行されただけだった。何名かの負傷兵や一般市民は避難できたものの、両陣営を取り囲む包囲網は未だに強固なままだ。また合意のいち条件である、イドリブ県上空の飛行禁止空域は、ロシア空軍によって繰り返し侵犯されてきた。

停戦合意が交わされたにもかかわらず、南部のマダヤ包囲は続いた。4万余の一般市民は、「シャーム自由人イスラム運動」「トルコ、湾岸諸国に散在する国外の反政府派」と「ヒズボラの支援者であるイラン」「アサド政権と同盟関係にあるロシア」の戦いに、人質として巻き込まれた。

マダヤ市内にいるアブドゥッラフマンは停戦合意について、部分的には恩恵を感じている。しかし、彼の地元から多くの人口が流出、流入する取り決めについては懐疑的だ。「一連の計画的な退避措置がこの地の人口統計を大きく変えてしまうのを、われわれは恐れている」

シャーム自由人イスラム運動の指導者たちが更なる交渉を続けるなか、アブドゥッラフマンと仲間たちは地雷や検問所に取り囲まれてしまい、包囲された街中には飢えで苦しむ一般市民であふれている。国連、赤十字社、国際人権団体アムネスティ・インターナショナル、国境なき医師団などの国際機関はこの包囲作戦を止めるよう強く求めているが、彼は、包囲作戦が直ぐには終わらないだろう、と懸念している。「もちろん、フーアとケフラヤの状況が解決されれば、マダヤの状況も解決されるだろうが、先のことはわからない」

アブドゥッラフマン曰く、彼と仲間たちは、何度も降伏を試みた。しかし、ヒズボラはその降伏の条件をのまなかったそうだ。初めに、反体制派勢力の支配地域への安全な通行の確保を条件に、彼らは武装したままマダヤを離れることを提案した。それが却下されると、武装解除し、国連職員のエスコートによる退避を申し出た。それも却下されると、武装したまま地域の警察部隊としてマダヤ市に留まることを提案した。

アブドゥッラフマンは、国連が監視した停戦合意に敢えて則らず、カラモウン地域を統括するシリア政府軍司令官と直談判を試みてはいるものの、アサド政権との交渉を目的にマダヤを発とうとするたび、ヒズボラによる妨害を受けるそうだ。しかし、ヒズボラの指揮官は、マダヤの戦局を左右するような高次の政治的交渉にヒズボラは干渉しない、と反論した。「もちろん、時にはヒズボラは戦場での決定権を持っているが、アサド政権が存続する限り、政治的な交渉を干渉するようなことは決してないだろう」

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国連によると、シリア全土で兵糧攻めの影響を受ける国民およそ40万人のうち、10分の1がマダヤで包囲されている。人道的危機については、どちらの陣営に非があるともいえない。ヒズボラを信じるなら、マダヤ市民を人質しているのはアブドゥッラフマンだ。反体制派を信じるなら、ヒズボラは、シリア国内の反体制派勢力間のネットワークを分断し、兵糧攻めをしている。

また、マダヤ市内に武装兵があと何人残っているのかも不透明であるが、アブドゥッラフマンによると、カラシニコフや重火器で武装した兵士たちが数百人いるそうだ。「マダヤへの包囲を止めてくれるなら、カラシニコフ以外のものならなんでも喜んで差し出すよ」

月日が経つにつれ、マダヤへの包囲網はより強固なものとなっている。2015年12月までにマダヤ市街の食料品価格は高騰し、米価格はいっとき、450グラムあたり約12,000円(100米ドル)を記録した。断続的な援助だけでは、マダヤを飢えからは救えない。国境なき医師団の発表によると、2015年12月、支援物資がマダヤに到達する前に23名が餓死。2016年1月の初旬には、支援物資を積んだ国連のトラックがマダヤ市に到着したにもかかわらず、16名の餓死者が出たそうだ。

人道支援団体の多くの職員が、子供たちが生きるために草木を食べざるを得ない状況のマダヤが、シリア国内で最も危機的状況に瀕しているのでないか、と気遣うが、フーア、ケフラヤの住民も同様に包囲されている。

恐らく、安定した電気供給がままならないため、政権派の村から、そういった状況の知らせはめったにこない。しかし、政権贔屓の村もかなり厳しい状況に追い込まれている。2016年1月初旬、フーアで暮らすマゼン(Mazen)と名乗る住民はアムネスティ・インターナショナルに対して、「シャーム自由人シリア運動は、フアとケフラヤに食料を密かに持ち込もうとした罪で、男性2人を処刑した」と証言した。「村の近くにある反体制派組織のモスクから、その2名の処刑に関するアナウンスと、今後、村に一斤のパンでも持ち込もうとすれば同じ処罰が下される、という警告があった」

驚いたことにアブドゥッラフマンは、フーア、ケフラヤ両村を武力で包囲している自身の同胞を非難している。彼は、「いかなる市民に対してであろうと、包囲作戦には反対だ」と断言し、これは個人的な見解である、との前提に、「征服軍(Jaysh al-Fatah:ジャイシュアルファータ)のフーア、ケフラヤへの包囲作戦にも反対だ」と続けた。シーア派の村々がスンニ派武装集団に包囲される、という緊張状態がマダヤに対する包囲網を厳しくしている、そう彼は説明した。

実際、征服軍の反体制運動は、過激派思想の温床となっており、シリア国内においてアルカイダからのフランチャイズ認定を受けているヌスラ戦線も従えている。グループを率いる指導者たちの多くは、シリア国内で少数派のシーア派、アラウィ派(シーア派の教えとシリアの土着宗教とが混じった独自色のある教えを持ち、政治的にシーア派系とみなされている)、キリスト教徒への憎しみを強調する。

イスラム法学者としてイドリブ県で征服軍を率いる、シャイク・アブーラ・アル=ムハブシニ(Shaykh Abdullah al-Muhavsini)は、マダヤ包囲が解除されなければ、シーア派の村々を壊滅させる、と声明を発表した。アブドゥッラフマンによると、イドリブ県における「彼の同胞」は、ヌスラ戦線の指導者であるアブー・ムハンマド・アル=ジョラーニー(Abdul Mohammad Al-Jolani)に対して特別な敬意を払っているそうだ。しかし、アブドゥッラフマンは、過激派ジハーディストたちの発言には慎重な態度をとっている。「この騒乱が終われば、アラウィ派、キリスト教徒、スンニ派、シーア派といった信仰の違いに関係なく、一緒に暮らせるのが最善だ」「いつか騒乱前のような平穏を取り戻し、皆で仲良くやっていきたい」

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また、アブドゥッラフマンは、大規模なプロパガンダ戦争に巻き込まれている、とも語った。ヒズボラのメディアは、彼が率いる反体制組織がマダヤ市民を人質に取り、市内の食料を差し押さえていて不当利益を得ている、と非難している。2016年1月初旬に公開された動画の中で、マダヤ市民を名乗る女性が反体制組織を、自らのためだけに食料をため込んでいる、と非難している。彼女は、マダヤ市を封鎖するバリケードの外側に集まった報道陣に囲まれながら、「あいつらは血が通っていない商人。自分たちの家族の食料を確保するだけに躍起になっている」と声高に非難した。

ロイター通信とアルジャジーラによって、この動画は世界中に配信された。この告発に、アブドゥッラフマンは激怒した。「マダヤが飢え苦しんでいるときは、俺たちも飢えに苦しんでいるんだ。あの報道は真っ赤なウソだ」と彼は声を荒げた。動画が撮影された当日、バリケード近くにいた別の女性に話を聞いた。証言の真偽を確かめるのは不可能だが、動画に登場するヒズボラの兵士は、食料とマダヤからの安全な退避ルートの確保を条件に、反体制組織の非難、アサド政権賞賛を動画でコメントするよう、マダヤの女性たちに持ちかけたそうだ。

2016年1月初旬に発行されたヒズボラ機関紙も、アブドゥッラフマンは不当な利益を得ている、と非難した。「マダヤの武装グループは市内の食料供給を掌握し、その対価を払える者なら誰にでも食料を販売している。食料危機に瀕しているのは、貧しい市民たちである」。マダヤ市外に駐留するヒズボラの司令官に取材したところ、その司令官はヒズボラ側の主張を繰り返し、ヒズボラはマダヤ市内に食料を運んでいる、と断言した。しかも、その食料は、反体制組織により差し押さえられているらしい。ヒズボラは、食料を支給する交換条件として村人にプロパガンダの片棒を担がせている、という疑いを断固否定した。

マダヤ市内の「国境なき医師団」が運営する病院で働く職員にも話を聞いたが、その職員によると、支援物資の分配に対して、アブドゥッラフマン率いる反体制組織からの妨害は受けていないそうだ。しかし、ダマスカスで国際赤十字の報道官を務める、パウエル・クリジシエク(Pawel Krzysiek)はマダヤの反体制組織が食料を貯め込んでいるか否かについてのコメントを控えている。赤十字社はなかなかマダヤ市内に立ち入れないため、物資到着後、適切に分配されるまでの保証はできないらしい。

アブドゥッラフマンの組織がマダヤに留まるのは街を守るためであり、市民に食料を分け与える役割は担っていない。「俺たちはマダヤの息子だ。俺たちは人民で、この戦いは解放運動なんだ」

アブドゥッラフマンの家族も、包囲の犠牲者だ。彼には5人の子供がいる。一番年下の息子は外出するのを怖がり、登校もままならず、家の食料が尽きると何時間も啼き喚いているらしい。

「この状況を信じられるか? 俺は反体制組織の指揮官で、俺の子供でさえ飢えに苦しんでいるんだ」と彼は強調した。