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ベトナム戦争の爆弾を宝飾品にリサイクルするラオス

ラオス国民は、爆発した爆弾の破片を有効活用している。大きいながらも危険のない、例えば、クラスター爆弾のケース、飛行機の燃料タンクなどは、餌やり用の桶、門柱、もしくは、古くからある伝統的な家屋の支柱として利用されている。コミュニティの中には、当たり前のように破片が転がっているので、ラオス国民は、それを有効活用もするし、売り払いもする。

ラオスの地中には、約7,800万個もの不発弾が埋まっている。ラオスは、史上最も激しい爆撃にさらされた国家だ。ベトナム戦争中、米国政府は、北ベトナムの有名な兵站〈ホーチミン・ルート〉を遮断するために、大量の爆弾を投下した。そして、1973年に爆撃が止んでからも、不発弾による死傷者は、合計で2万人以上。最後のクラスター爆弾が投下されてから40年が過ぎた現在も、毎年、ラオス国民が犠牲になっている。しかし、2010年には300人だった犠牲者は、2016年の報告によると、地域ぐるみの努力により、42人にまで減少したという。

爆発したか否かを問わず、爆弾は、ラオス人の人生のいち部なので、ラオス国民は、爆発した爆弾の破片を有効活用している。大きいながらも危険のない、例えば、クラスター爆弾のケース、飛行機の燃料タンクなどは、餌やり用の桶、門柱、もしくは、古くからある伝統的な家屋の支柱として利用されている。コミュニティの中には、当たり前のように破片が転がっているので、ラオス国民は、それを有効活用もするし、売り払いもする。

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宝石類を取引、デザインする企業〈Article 22〉のエリザベス・スーダ(Elizabeth Suda)は、破片の再利用を1歩進め、爆弾の破片に価値を与え、エシカルジュエリーをラオスで生産している。

「私は、ラオスのなかでも、最も激しい爆撃を受け、現在も汚染されたままのシエンクワーン(Xieng Khouang)を訪ねました。近隣4村の織物産業をサポートすると、どんなビジネス・チャンスがあるのかを調査していたんです」と彼女。「ひとつの村で、予想外の光景を目にしました。村人たちは、それぞれの庭に設えられた土窯で溶かした金属を、木型に流し込んでいたんです。出来あがったのは、鮮やかな色の、熱そうなスプーンでした。これは何、と私が問うと、ある女性がクズ金でいっぱいになった小屋に案内してくれたんです。彼女が見せてくれたクズ金に〈ロケット迫撃砲〉と記されていました。米国産の爆弾でした」

Article 22の宝飾品は、ラオスの職人が手作業でつくっている。職人たちは、ローカル・マーケット向けのヌードルスープ・スプーンの製造を始めた1970年代、彼らは、爆弾の破片、アルミニウムを溶かす方法を生みだした。Article 22は、農業と兼務せざるを得ない彼らが職人として自立できるよう、技術訓練、道具、新しいデザイン・アイディアを提供している。そして、同社の努力により、ジュエリーがひとつ売れるごとに、3平方メートルの土地に埋まった不発弾が除去される。

「死傷者統計は便利な指標ですが、不発弾がラオス国民の日々の暮らしに与える影響は、数字ではわかりません。最後の爆弾が投下された数十年後に生まれたみんなも、不発弾の影響を受けていますからね」。ベトナム戦争が残した負の遺産を処理する団体〈戦争の遺産(Legacies of War)〉のコミュニケーション委員長、アレクサンドラ・ヒニカー(Alexandra Hiniker)は説明してくれた。「彼らは、貧困のままでいるのか、生命の危険を冒して食物を栽培し、子どもたちを遊ばせ、道路や病院や学校をつくるのか、という有り得ない選択をしなければなりません。ひとたび事故が起こると、生存者には、長期的な物理的、心理的サポートが欠かせません」

「ブレスレットがひとつ売れると、製造コストの10%がMAGに寄附されます。不発弾を調査し、撤去するために、寄附を使ってラオス人を訓練して雇います。その他にも、不発弾の危険性を説くリスク教育セッションも、寄附金で賄われています」とMines Advisory Group (MAG)のアビー・フリムポン開発局長。

An area being cleared of UXO. (image via MAG)

宝石を利用した試みは、不発弾問題への意識を喚起し、漸進的な問題解決にむけて、職人、消費者、支援者を巻き込むコラボレーションだ。Article 22の販売からの収益だけで、これまでに、20万平方メートル以上の土地から不発弾が除去された。

2017年8月、スーダはRed Bullのアスリート、レベッカ・ルッシュ(Rebecca Rusch)とラオスを旅行した。レベッカの父は、ベトナム戦争中、ラオス上空を飛行中に撃墜され、命を落とした。Red Bull初のオリジナル長編ドキュメンタリー〈Blood Road〉で、ルッシュは、父親の墜落現場を探し求めて密林を貫くホーチミン・ルートを1,200km南下した。撮影中に実感した、今なお残る不発弾の影響に驚かされたルッシュは、行動せざるを得ない気持ちに駆られたのだ。

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Article 22とレベッカ・ルッシュは、ブレスレットを共同制作している。ひとつのブレスレットの売上は、MAGを通じて、レベッカの父名義で12.5平方メートルの土地の不発弾を除去するための費用に充てられる。

「スクラップからつくったブレスレットは、すごくきれいです。それだけではなく、購入者は、ブレスレットを触るたびに爆撃を思い出すでしょう。素材のリサイクル、地域の職人に仕事を与えるだけではありません」とルッシュ。ブレスレットには、レベッカの父が家族に送る全ての手紙にサインしていたのと同じ「幸あれ(Be good)」というフレーズが刻まれている。

The "Be Good" bracelet. (Image via Rebecca Rusch)

2016年、歴代米大統領のなかでも、初めて任期中にラオスを訪ねたオバマ元大統領は、不発弾除去のために9,000万ドルの支援を約束した。MAGのフリムポンによると、「オバマがラオスに来たということは、米国がラオス爆撃を認めたということです。その事実がラオスに与える影響は、計り知れません。MAGは、ラオスで20年以上活動してきましたが、最近、状況が明らかに好転しています。米国人たちは、事実を知りたいのでしょう」

「ラオスの不発弾がなくなるまで、活動を続けなくてはなりません。8,000万にのぼる不発弾除去の重要さを、オバマ元大統領が認めたということは、ベトナム戦争における米国の立場を認めたも同然です。ずっと、先送りにされていたことです」とスーダ。

COPE LaosのCEOであるBounlanh Phaybounは、医学的処置、義肢で不発弾被害者をサポートすることに関心があるみなさんに、以下のような支援を望んでいる。「米国、英国、豪州における私たちのパートナー〈Global Development Group〉を通して寄附していただければ、税制優遇措置が受けられますもし、基金を集めるためにイベントを開催したければ、私たちは、オンラインで基金を集めるページを用意できます。みなさん、創造的になって、ベイク・セールを開き、スカイダイビングして、エベレストに登ってください。なんであろうと、ちからを貸してください!」