鼻からエクトプラズムを出したとされるヘレン・ダンカン。Photos of Helen Duncan via Wikimedia Commons

1944年、第二次世界大戦の終結直前、英国、ポーツマスにある薬局の2階に数名が集まり、交霊会 を開いていた。参加者が約12シリング(約2600円)支払い、着席すると、46歳の小柄なスコットランド人女性、ヘレン・ダンカン(Helen Duncan)が現れた。

この女性こそ、参加者の目的だった。有名な〈実体化霊媒師〉である彼女は、死者の魂を呪文で召喚するだけでなく、物体として顕現させることができた。それは、白いエクトプラズム(霊体)となって彼女の口や鼻孔から飛び出し、ぼんやりと赤い光を放っていたという。

参加者のうち2人は、ダンカンの〈才能〉に何の興味もなかった。1944年1月のその日、2名の海軍将校が、彼女を拘束するために交霊会に潜入していた。逮捕状も出ており、ダンカンは当初、〈浮浪者取締法〉第4条違反と、大衆に対する詐欺罪で起訴された。

しかし、この入念な潜入捜査の対象は、詐欺行為ではなかった。ヘレン・ダンカンは、国家機密を盗聴した疑いのある人物として、英国当局内では有名だった。彼女は、英陸軍高官のロイ・C・ファイアブレース 准将に対し、彼が正式な報告を受ける前に、英海軍の巡洋戦艦〈フッド〉 の沈没を知らせた、とも噂されていた。

この会の3年前にも、当時、英海軍基地だったポーツマスで、ダンカンは交霊会を開いていた。そこに戦艦〈バーラム〉 に搭乗していた水兵の霊が現れ、彼女と参加者に、戦艦の沈没を知らせたという。水兵の霊は、正しかった。このクイーン・エリザベス級戦艦 〈バーラム〉は、ドイツの潜水艦 に撃沈され、乗船していた800人が亡くなった。

英国政府は、国民の士気を保つため、3ヶ月間、沈没の事実を秘匿した。それなのに、なぜダンカンは知っていたのか? もしかすると、彼女が本当に降霊できたからかもしれない。もしくは、密かに訃報を受けた遺族から情報を得たのかもしれない。どちらにせよ、ダンカンの件を受けて、英海軍本部は厳戒態勢をしいた。国全体が疑心暗鬼になっていた大戦時、たとえ口から吐き出されたのがエクトプラズムであろうと、安全保障上のリスクを見逃すわけにはいかない。政府にとって、ダンカン逮捕は必至だった。

このような事案は、たいていの場合、大衆に対する詐欺を企てた占い師や降霊術者を起訴する際に適用された〈浮浪者取締法〉に従って審理され、刑事法院 には持ち込まれなかった。しかし、当局がより厳しく明確な判決を望んだため、ダンカンの事件は、18 の魔術取締法によって審理されることになった。

公訴局長官のE・H・ティンダル・アトキンソン (E. H. Tindall Atkinson)は、当時の法廷で200年前の法律を適用するのを懸念した同僚に、  次のように書き送った。「法廷弁護士は、コモン・ロー 上で詐欺容疑を立証するよりも、この時代がかった法律への違反容疑とするほうが簡単だ、と考えたのでしょう」。見せしめとしてダンカンに実刑判決を下したかった裁判所にとって、これが最短の方法だった。この訴訟がなければ、中世の法律が再び話題になる機会はなかっただろう。

刑事法院のひとつである中央刑事裁判所でのダンカンの裁判はスキャンダルになり、全国紙のトップを大々的に飾った。英国中の降霊術者が、労働党のエレノア・ラスボーン (Eleanor Rathbone)国会議員に、彼女の釈放を求める手紙を送った。ある降霊術者はこう訴えた。「こんな裁判は、正義の曲解であり、私たちが自由のために闘っていることに、相反しています」

『Daily Mail』紙は、「霊のキスを語る女性たち」と題し、ダンカン支持者の証言を掲載した。証人は、およそ30人。そのなかには、彼女が実体化させた霊がスペイン語を話し、童謡を歌い、数人の参加者にキスするのを目撃した、という証人もいた。演劇評論家のフレッド・スワッファー (Fred Swaffer)は、証言台で、〈生きている雪〉のように彼女の身体から流れ出たエクトプラズムは本物だ、と断言した。ウィンストン・チャーチル (Winston Churchill)ですら、内務大臣宛ての私的な手紙のなかで、この訴訟を「時代遅れで愚かなまね」と称して、魔術に関する裁判にどれだけの資金や資産が費されたかを知る必要がある、と主張した。

ヘレン・ダンカンの裁判で使用された〈エクトプラズム〉の証拠写真。Photo is crown copyright, courtesy of The National Archives.

ダンカンは詐欺罪ではなく、魔術取締法第4条違反で、海軍ホロウェイ 刑務所で9ヶ月の禁固刑を受けた。彼女は被告席で泣き崩れ、「私は何もしていません。神はいないのでしょうか?」と嘆いた。彼女は2度と交霊会を開かないと約束したが、釈放の1年後、同様の会を開いて逮捕されている。1956年、ダンカンは60歳を迎える直前に他界した。

〈実体化霊媒師〉ヘレン・ダンカンの評価は複雑だった。当時の他の交霊会のように、彼女のセッションは、奇抜な芝居と映画のような視覚トリックで成り立っていた、という声もあれば、戦時中、絶望した遺族が愛する故人との繋がりを欲したために占いが流行した、との意見もある。ダンカンは、チーズクロス、ティッシュペーパー、卵白でつくった偽のエクトプラズムを飲み込んでいた、霊体の顔は雑な造りの張りぼてだった、といった指摘もあった。しかし、彼女の才能を信じて疑わない声も多く、ダンカンは、降霊術の世界において、現在も絶大な支持を得ている。

ダンカンはしばしば「有罪判決を受けた最後の魔女」と称されるが、実際にはもうひとりいた。ジェーン・レベッカ・ヨーク(Jane Rebecca Yorke)はロンドン東部の霊媒師で、ダンカンの訴訟と同じ年、魔術取締法に基づく7個の訴因で有罪判決を受け、5ポンド(約2万 )の罰金を科された。しかし、世間を騒がせたダンカン訴訟の影響により、1951年、魔術取締法は廃止された。

ダンカンの遺族は、数十年にわたって、彼女の汚名を雪ぐべく働きかけている。しかし、今のところ恩赦は与えられていない。