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宇宙人と会ったと主張する人たち
宇宙人の乗り物として典型的なUFOといえば、円盤底部に特徴的な3つのドームがついた〈アダムスキー型〉を誰もが即座に連想するだろう。そのイメージは、1952年に〈宇宙人と会った〉と最初に公表した人物、ジョージ・アダムスキー(George Adamski)が自ら撮影したという鮮明なUFO写真に起因する。彼のように、〈宇宙人との出会いを主張する人物たち〉は〈コンタクティ〉と呼ばれる。1947年、ケネス・アーノルド(Kenneth Arnold)UFO目撃事件をきっかけに全米で巻き起こったUFO騒動の後を追うように、50年代、〈コンタクティ〉が急増した。その結果、当初は他国の秘密兵器か、と米国内で疑われた謎の飛行物体の正体は、宇宙人の乗り物である、という解釈が定着することになる。

前回の記事でも言及したように、ケネス・アーノルドが最初に謎の飛行物体を見たさい、彼は、それを他国の秘密兵器と疑い、愛国心と正義感から、目撃した事実を公表した。その後、全米でUFO目撃事件が多発して社会現象となるが、その段階では、宇宙人の乗り物である、と予想されてはいなかった。

しかし、アーノルド事件を受け、米空軍が国防上の理由からUFO調査組織〈プロジェクト・サイン(Project Sign )〉を結成した8日後、1948年1月7日、目撃通報された謎の飛行物体をF51戦闘機で追跡していたトーマス・マンテル大尉(Thomas Mantell)が行方不明となり、のちに、墜落した機体、その中で遺体となった大尉が発見される事件が発生した。政府は、同大尉が金星を飛行物体と見間違えて追跡した末に墜落、と発表したが、国民は納得しなかった。翌年、政府は、同大尉がスカイフック気球を誤認した、と解釈を変更したが、ますます、国民の不信感を煽る結果となった。その頃には、UFO目撃情報にあるジグザグ飛行、神出鬼没さから、地球外からやってきたのではないか、という意見も支持を集めていたからだ。

UFO地球外仮説は、米空軍のUFO調査組織でもささやかれ始めていた。1948年7月24日に起きた、イースタン航空のクラレンス・チャイルズ機長(Clarence Chiles)とジョン・ウィッティド副操縦士(John Whitted)によるUFO目撃事件について、調査組織は、UFOは地球外から飛来した、と報告書にまとめたところ、ホイト・バンデンバーグ将軍(Hoyt Vandenberg)に、根拠がに乏しい、と却下され、翌49年には米空軍のUFO調査組織のコードネームが〈プロジェクト・グラッジ(Project Grudge)〉に変更された。その理由は、組織内部のUFO地球外仮説の排除では、といわれている。

元海兵隊員の航空ジャーナリスト、ドナルド・キーホー(Donald Keyhoe)は、軍や政府内部にくすぶっていたUFOに関する意見の対立を独自にリサーチし、匿名の関係者によるコメントとしてまとめ、1950年、『空飛ぶ円盤は実在する(The Flying souces are real)』として出版した。その前年、キーホーは、同名タイトルの記事を雑誌『トゥルー(True)』に発表しており、その反響を受けての緊急出版であった。

同書に掲載された事例は、後々、代表的なUFO事件として長く語り継がれることになる。すでに紹介したマンテル大尉のUFO追跡事件に加え、同書には、イースタン航空のクラレンス・チャイルズ機長(Clarence Chiles)とジョン・ウィッティド副操縦士(John Whitted)によるUFO目撃事件、ジョージ・ゴーマン少尉(George Gorman)がUFOと空中戦を繰り広げた事件などが掲載された。どれも軍関係者やプロのパイロットたちの目撃証言なだけに、経験豊富な彼らが事実誤認、偽証をするとは疑われなかった。

同書でキーホーは、〈空飛ぶ円盤は宇宙人の乗り物〉であり、米国政府はそれを隠蔽しようとしている、と書き立て、センセーショナルな話題となった。なぜなら、当時、米国政府はUFOの存在を表向きには否定しながら、多発するUFO目撃事件を極秘に調査している、と世間に伝わり始めていたからだ。そればかりか、調査結果が公表されないのは、UFOが宇宙から飛来しており、その事実があまりにも衝撃的なために政府が国民に隠している、とキーホーは主張したのだ。

ここで強調しておくべきは、第二次世界大戦中、米国政府が極秘で原子爆弾の開発を進めていた、という事実である。恐るべき破壊力を持つ核兵器を開発する〈マンハッタン計画〉は、2つの原爆が日本に投下され、はじめて米国民が知ることとなった。この当時、米国民にとって、政府が秘密裏に想像を絶する新たな計画を推進する可能性は十分にあり得たのだ。

さらに1950年、米ソ冷戦を背景として、朝鮮半島を舞台に〈朝鮮戦争〉が勃発した。戦争は、53年の停戦まで続いた。翌54年、米国政府は、南ベトナムに傀儡政権を樹立し、同国への介入を始めた。この政策は、その後、ベトナム戦争が泥沼化するきっかけになった。当時の米国は、徴兵制を実施しなければならないほど、世界各地で軍事行動を展開していた。そのせいで、仮に、UFOに乗った宇宙人が地球に侵略でもしてきたら核兵器で応戦するかもしれない、と国民が容易に連想できる世相ができあがっていた。実際、UFOの脅威は、核戦争を想起させ、今からは想像もつかないほどのリアリティで世間に受け取られていたのだ。

そして、ついに1952年7月19日、および26日、ワシントンDCで米空軍のレーダーが複数の飛行物体を捉えたばかりか、ホワイトハウス上空でも、多数の飛行物体が目撃され、全米中が大騒ぎとなる。

1953年1月、CIAは、米空軍によるUFO情報収集では不十分、と判断し、UFOが宇宙からの飛来した可能性も含め、UFO問題の国家安全保障に関する会議〈ロバートソン査問会〉を招集したために、UFO論議はますます白熱した。

そんなUFOブームの最中に、絶好のタイミングで、ジョージ・アダムスキーが「私は宇宙人と会った」と主張したのだ。同年、彼は、デズモンド・レスリー(Desmond Leslie)との共著『空飛ぶ円盤実見記(Flying Saucers Have Landed)』で体験を公にして、一躍有名になった。その本のなかで、彼は、ケネス・アーノルド事件の1年前、1946年から空飛ぶ円盤をたびたび目撃し、52年11月20日には空飛ぶ円盤でやってきた〈オーソン〉という金星人と会見し、同年12月13日には鮮明なUFOの写真撮影にも成功した、と主張している。その写真が捉えていたのが、のちに〈アダムスキー型〉と称されるUFOだった。

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UFOオカルト伝説の謎 01.ケネス・アーノルドのUFO目撃事件はこちら

UFOオカルト伝説の謎 02.ジョージ・アダムスキーの空飛ぶ円盤同乗記(後編)はこちら

UFOオカルト伝説の謎 03.エーリッヒ・フォン・デ二ケンの未来の記憶はこちら