ダーイッシュ(自称イスラム国)に捕らえられた2人の日本人を見て、デヴィ夫人が自身のブログで記した所感がネットで物議を醸したが、ここにも一人、独自の見方で”あの事件”を捉えた男がいる。

かつて「アフガニスタンのサムライ」と呼ばれた田中光四郎氏は、4歳より柔道、12歳より空手を始め、空手の師範代に上り詰めた。日本の伝統的な価値観に従って生きようと右翼団体の日本青年社に参加したが、1978年に始まったアフガニスタンへのソ連侵攻を見て、田中氏は思いを固めた。

日本人にして元ムジャヒディン戦士 「あれは彼らの責任です。己を恥じ、腹を切るべきだった」 (1)

「私は武道家ですから、いざ死ねる場所で、死ぬ覚悟を持って敵に向かえるのか、という存在確認がありました。武道の最終段階は、己が信じるものに対して人生を捧げることです。自分の死というものに正面から向かい合うんです。当時は44歳でしたからね。アフガニスタンで、ここでなら死ねるなと思って。」

日本の右翼団体からも支援物資をかき集め、1985年に田中氏は単身アフガニスタンへと旅立った。現地のムジャヒディンに混ざってソ連へと立ち向かう内に現地の言葉も習得し、空手を教えながら周囲の信頼を得ていった。

「トゥララって山で道場を立ててくれたんですよ。毎日戦ってるわけじゃありませんから、戦ってないときには、色々と指導しました。この彼にも空手を。けれど彼は死にました、地雷を踏んで。両足を飛ばしても3時間生きてました。」

日本人にして元ムジャヒディン戦士 「あれは彼らの責任です。己を恥じ、腹を切るべきだった」 (2)

アフガニスタンで田中氏が見た光景を想像することは難しい。

「50人以上穴掘って埋めてきました。僕があそこで死んでてもおかしくない状況ですから。ある時僕はね、こっちにいけば地雷畑、こっちにいけば銃弾が飛んでくる、そういう状況でね。その道を誰よりも先に走り抜けたんです。みんな怖がって岩陰に隠れたりなんかしますけど、僕はここで死んでもいいと思って。」

耳元では銃弾がすり抜け、同胞を何人も失った戦地で生き抜いた彼の発言は確かだろう。日本で唯一のムジャヒディン戦士として、そして数少ない外国人戦士として、アフガニスタンでの知名度は年々上がり、ヘクマティヤール元大統領、ラバニ元大統領、カルザイ元大統領と、歴代の大統領にも面会した。さらには、若く闘志に満ちたムジャヒディン戦士であったオサマ・ビン・ラディン氏とも接点があったという。

「ある日、真新しいロケットが大量に積まれたテントを訪ねたんです。どこから来たのか全く検討もつかなかったのですが、ある男が教えてくれました。武器はすべて新人のビン・ラディンからだと。」

日本人にして元ムジャヒディン戦士 「あれは彼らの責任です。己を恥じ、腹を切るべきだった」 (3)

日本から来るジャーナリストの世話をすることもあった。中でも写真家の南条直子氏は、記憶に残っているという。イスラムの世界では、男性ジャーナリストが女性や子供を撮影したら、その場で殺害されてもおかしくない。女性にしか撮れないものがあるはず、そう考えた田中氏は南条氏をアフガニスタンへ入れることにした。

「一か八かで来たようですが、決意が固かった。話を聞いた30分後、地雷を踏んで亡くなりました。」

一般人が紛争地に足を踏み入れるときにはそれ相応の覚悟がなければいけないと田中氏は強調する。今回ダーイッシュ(自称イスラム国)に殺害された後藤氏と湯川氏に関しても、独自の見解を持っている。

日本人にして元ムジャヒディン戦士 「あれは彼らの責任です。己を恥じ、腹を切るべきだった」 (4)

「非礼です。戦ってるのは男だけじゃないんですよ。馬だって牛だって戦っとるんです。物を運ぶために。それらを運ぶ人たちもまた戦ってる。その中で後藤さんがやろうとしたことは、実際に弾が飛び交うところではなく、その後の焼け野原に立つ子供たちを撮って「さあ、戦争はいけない。不幸だ不幸だ。」ということで、レポートしとったようです。日本にジャーナリズムが存在しないと言われて長いです。彼らは旅行者と同じですよ。ある種の主張には必ず正義と大義がなければいかんのです。ところが後藤さんの場合、大きなテレビ会社からいっぱいお金をもらって、ぬくぬくと生活しとるわけです。彼のビジネスじゃないですか。その責任を国が持つなんて、馬鹿げた話はないですよ。彼の責任です。ようはヒューマニズムに訴えれば、人は集まる。金も集まる。いいことでしょう。ですからこれは全く個人の行いであって、国は一切関係ないわけです。」

彼らの自己責任だと思うかと問うと、すぐに答えが返ってきた。

「当たり前です。なんで捕まったときに死なんですか。それが日本人としての誇りじゃないですか。彼は恥を知らない。自分が助かるために1億3000万人を人質に出して。これは日本人の男がやることじゃないです。彼はあそこで死ぬ”べき”なんです。」

田中氏はアフガニスタンにいる間、自ら赴いた戦地で国に迷惑はかけまいと、常に死を意識して行動していたようだ。

「私は戦いに行った人間でありますから、戦争の悲惨さを語るには向きません。しかしね、いつも手榴弾を二個持っとりました。一個は自分を捕まえに来たやつを殺すため、もう一個は自分の顔を爆破するためです。私が日本人である、田中光四郎であるということが分からなければ、誰も何も言いようがありません。」

「この後藤謙二という人が、たったひとつ日本男児として一番大事な心がけを忘れてしまった。それは死ぬということです。生きて帰ります、有り得ません。間違いです。戦場は何でもありです。彼のお母さんがテレビに出てね、生きて帰ってきてほしい、親の思いを語るのはいい。ただあの母親が、日本人を人質にするような真似をするなって言えば、ヒーローでしたよ。日本人の原点ですよ。後藤さんに戦えって言ったって、あの人は戦える人じゃない。ですけれども、報道するならもっと謙虚にね、おとなしく自分たちの主張をすべきであって、テレビに「私の責任です」と話しましたね。あの時に何で死ななかったか、これが日本人として、男として、大変残念で仕方ない。私はそう思います。人のお尻を追っ掛けて商売にしてる奴と、同じ次元でものを語れないですから。マスコミから話があっても、私は語りません。」

かつてアフガニスタンのジハードに参加した田中氏は、彼の知っているムジャヒディンとダーイッシュとの違いを強調する。

「ダーイッシュに関わる気はありません。全然違いますよ、彼らは純情ですよ。純粋、気持ちが。難民としてパキスタンへ行っても、イランへ行っても、彼らがアフガニスタンに帰るということは、自分の国を取り返すためにソ連軍と、ソ連軍が作った傀儡政権と戦うわけです。彼らが田舎に帰るということは、戦いに帰るということなんです。自分が生まれ、育ったところへね。」

「彼らは結局寄せ集めですから。目的があるわけじゃない、大義があるわけじゃない。すぐに散ります。あそこはあそこの人が解決するのが一番です。やり方がね、あまりにも人間じゃないです。イスラームのでもないです。イスラームの人がまず、彼らを潰すべきです。批判するだけじゃなくて、やはり自分たちの問題なんですから。下からしっかり教育してやらないと。だから、イスラムの人が立ち上がらないとダメですよ。彼らはイスラムを謳ってるわけです。イスラム教の人たちが、彼らを潰さないとダメですよ。でないと、イスラムの大義はないですよ。」

日本も攻撃対象となれば、自国の身の処し方を考えなければならない。

「彼らの目的は日本人を殺すということではなくて、自分たちの存在を知らせる、自分たちのシステムを認めさせること、それとお金が欲しいわけですからね。日本人は格好のいい餌なんですよ。それを許しちゃいけない。日本人が自覚をして、誇りを持って、何かあったときには自分の身を始末出来るようにして、物事にあたらなければならないということです。」

もちろん、憲法改正に関しても賛成だ。

「悪いとは思いません。自分の国を自分たちで守ろうというのは、当たり前のことです。その当たり前のことが出来ない国はおかしいです。」