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トミー・ゲレロが振り返る、黎明期のスケートボード・シーン。

「ボーンズ・ブリゲード」の元メンバーであり、ストリート・スケートの基礎をつくったスケーターであるトミー・ゲレロが、スケート・カルチャーの創成期のエピソードを語る。

Tommy Guerrero in Future Primitive

80年代において、ボーンズ・ブリゲード* はスケートボード・シーンを代表する存在だった。彼らのチームは未来のカリスマ・スケーターたちによって構成され、メンバー全員がドッグタウンのスーパースター、ステーシー・ペラルタ** にピックアップされていた。彼らの使命はスケートボードをメインストリームに持ち込むことであり、事実、それに成功したと言えるだろう。ジョージ・ハリスンですら彼らをディナーに招いたほどだ。

しかし、次第にブリゲードのメンバーのうちの一人が徐々に目立つようになっていた。彼の名前はトミー・ゲレロ、サンフランシスコ出身のフィリピン系アメリカ人だ。ペラルタはチームメイトへのアンチテーゼの意味を込め、彼をストリート・スケーターとして売りだそうとした。裏庭に大型のランプが無いような、いわゆる普通の家庭環境で育った街のキッズにとって、トミーはボーンズ・ブリゲードの中で最も重要なスケーターだった。

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90年代前半、大型ランプでのスケートボーディングがシーンの中心ではなくなった頃、トミー・ゲレロはジム・チボー* 、エリック・スウェンソン** 、ファウスト・ヴィテロ*** ら旧友たちとチームを組み、本当のスケートを追求するべく、街中でのスケートにフォーカスした「デラックス・ディストリビューション」と「リアル・スケートボード」という2つの会社を設立した。 当時は新しいグラフィックができるごとに、300体ものボードを作っていたという。それから23年が経ち、デラックスはスケートボード業界で最大規模の会社となった。今なお、80年代のペラルタのような圧倒的な存在感を放っている。

ボーンズ・ブリゲードや「リアル・スケートボード」結成時の様子、彼の最新アルバムについて聞くべく、私はスタジオに向かうトミーに直撃。下記はそのインタビューだ。

Interview:トミー・ゲレロ(Tommy Guerrero)

やぁ、トミー。早速だけどみんなが一番知りたがっている質問と言えば…

神は居るかって? 僕も知らないよ。

いえ(笑)。あなたはボーンズ・ブリゲードで唯一の黒人系スケーターでしたが、どんな気分だったのでしょうか?

あの頃は大変だったし、苦しい時間だったね。僕は典型的なアメリカ人で、マヌケだし。

北カリフォルニア出身のストリート・スケーターとして、どのようにボーンズ・ブリゲードに参加したのですか?

サンフランシスコのストリート・コンテンストの前日、ペラルタをジョー・ロペスのランプで見かけたんだ。俺が滑り終えたとき、彼に「君のスケートスタイルがとても気に入った」って言われてね。次の日、コンテストで彼は僕の兄に話しかけていて、その内容を兄から聞いたときは、冗談に違いないと思ったよ(実際、彼はいつも冗談を言うんだ)。でも後日、ペラルタがマジでチームへの参加を希望しているんだと分かった。

ボーンズ・ブリゲードは80年代を支配していました。あなたにとってのハイライトは?

僕にとっての一番の楽しみは旅行だった。未だに心に強く残っている。路上を歩き、旅行するのが好きなんだ。サンフランシスコの外に出た経験ができたことはとても良かったと思う。俺はパウウェルの最初のコンテンストに出るまで飛行機にも乗ったことなかったんだ。母は免許も車も持ってなかったから…コンテストへ飛行機で行くなんてとても驚きだったよ。

あなた達が91年に「リアル・スケートボード」を始めたときは、スケートボードの存在はまだ小さいものでした。80年代のボーンズ・ブリゲードの影響力と比べると、自分たちの影響力はいかがでしたか?

ジムとバカなことをできたのが自分にとっては大きかったかな。くだらないアイデアを思いついては「よし、じゃあやってみよう!」とか言って盛り上がって。何をするにも許可なんて要らなかったから、かっこいいと思うことは何でもやったし、どんなにマズいグラフィックでも描いた。6つのホイールがついたボードも、あの頃に作ったんだ。

「リアル・スケートボード」のディストリビューターでもある「デラックス」は長年に渡り帝国を築いてきましたが、その理由は?

それはファウストとエリックがDIY精神に溢れた人だからだと思う。誰かにお金をあげて何かをやらせるかわりに、自分たちで会社をつくってしまったんだから。「シャツを刷るのにあんなヤツに金なんか払ってられるか!そんな事をするくらいなら、自分たちでプリントの会社をつくろうぜ!」ってね。俺もちょうど自分で音楽やCDをつくろうとしていて、ノリがそんな感じだったんだ。彼らは2人とも曲者だよ。ためらわず誰にでもファックと言える精神を持っている。

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デラックスについての都市伝説で一番おもしろいエピソードを教えて下さい。

俺が特上のコカインを吸っているらしい、とかは聞いたことあるね。でも一番の都市伝説は、ジムと俺がリアル・スケートボードを所有しているって噂さ。俺らはデラックスの小さな株主だけど、残念ながら、リアル・スケートボードを持っているわけではない。もし持ってたらポルシェ(それかポルシェ・リモ)を何台も乗り回してたろうけど…。

リアル・スケートボードでの日々から、マーク・ゴンザレス* の「クルキッド」を裏方として支える立場へと移り変わっていった経緯について教えてください。

デラックスでは仕事漬けの毎日で、フィルム撮影、編集、レイアウト、デザイン、チーム・マネジメントにいたるまで、ありとあらゆる業務をこなしていた。とても楽しかったね。マークと俺はこれまでも、これからもずっと友達さ。俺らがプロになる前、実家に住んでいたころにウチに何度か遊びに来たこともあるんだよ。とても良い関係だし、少なくとも仕事においては彼のやり方を知っているつもり。だからこそ、彼と直に会って働くことを止めたのさ。アイデアを出したり、カタログやボードのデザインをしたりといったことをね。今、俺はアート・ディレクションをしているだけ。僕のよりもずっと腕のいいクルーがいるから彼らに任せている。今のほうがより洗練されていると思うよ。

あなたはマークが手紙やファックスに描いた訳のわからない絵を集めていたと聞きました。

そう、彼がファックスを使っていたころがあって、必死に集めていたよ。彼の絵が好きなんだ。絵の描かれた箱をスキャンして、ボードに使ったこともある。他にもナプキン、紙、フェデックスの箱、大量のファックス、彼が描いた絵のあるボード…なんでもスキャンしたね。彼は目についたもの全てに絵を描いてしまうようなんだ。

マークのエピソードの中でお気に入りの話を教えて下さい。

たくさんありすぎるよ。本当に面白くて、気前の良い男なんだ。あるとき、デラックスの社員がマークのシャツに「マーク、いいシャツを着ているね」と言ったことがあった。彼は高価な服が好きで、その時着ていたのも確かに素敵なボタンダウンだった 。マークは「あ、そう? 気に入ったならあげるよ」と言ってその服を脱ぎ、彼に渡した。俺があっけにとられてその光景を眺めていると「あのシャツはまだ家にあるから、取り返したりなんてしないよ」と言って、スケートしに出ていったんだ! 80年代の後半、彼のはまだ見たこともないような組み合わせのスケーティングをしていて、俺はよく彼のすぐ後ろで滑っていたからとてもエキサイティングだったね。彼がものすごい技をする度に「おい、今の見たか!?」って後ろのヤツらに聞いたりしていたよ。

先ほど、DIY精神について話していましたので、新しいアルバム「No Man’s Land」について伺います。アルバムの全工程に携わっているのですか?

制作の上で、何人かに協力してもらっている。友人のマネー・マーク* にはハーモニカ、マーク・カペル(Mark Capelle)がトランペット、マット・ロドリゲスには何曲かパーカッションのインスト部分で参加してもらっている。ただその他の部分は俺一人で演奏し、エンジニアリングもしているから、ワンマンショーって感じだね(笑)。愛や幸福、楽しみ、前向きなバイブスに溢れたアルバムになっているよ。