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伝説の麻薬Gメン、かく語りき

メキシコ麻薬戦争を正面から扱ったドキュメンタリー映画『皆殺しのバラッド』のトークイベントに登壇した、元厚生労働省関東信越厚生局麻薬取締部捜査第1課長の小林潔氏に、トーク終了後、声をかけた。

メキシコ麻薬戦争を正面から扱ったドキュメンタリー映画『皆殺しのバラッド』は、そのシリアスで重い内容にもかかわらず幅広い層に支持され、1カ月を超えるロングラン上映となった。東京での上映が終盤に差しかかった5月22日、上映館のイメージフォーラムでトークイベントが行われ、元厚生労働省関東信越厚生局麻薬取締部捜査第1課長の小林潔氏が登壇した。1966年から2003年までの37年間、捜査の最前線に立ち続けた人だ。

小林氏の説明によると、昨年(2014年)、日本の空港や港湾で摘発された違法薬物の密輸事件は390件、押収量は約630キログラム。このうち覚せい剤は174件で約549キログラムが押収されている。全薬物の押収量の9割が覚せい剤だ。ルート別にみると、トップがメキシコで約270キログラム、次の中国が約200キログラム。メキシコ産は5年ほど前から急増しているという。「私が辞める間際(2003年)まで、メキシコから覚せい剤が来るなんて話は聞いたことがありせんでした」と小林氏は語る。「メキシコの麻薬組織が10年ほど前から日本の暴力団に覚せい剤のセールスを持ちかけていました。はじめの5年間ぐらいは値段と品質が折り合わず大きな取引にならなかったのが、いまから5年ほど前、互いに納得したことから大量密輸になりました」。

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シャウル・シュワルツ監督は2008年から2年間、写真家としてメキシコ麻薬戦争に取り組んだが、写真では惨状を表現しきれないと判断し、2010年にムービーに切り替えている。ちょうど同じころ、日本ではメキシコからの覚せい剤の密輸量が激増した。

トーク終了後、いくつか聞きたいことがあったので、小林氏に声をかけた。筆者は過去に小林氏の部下にあたる捜査官に取材をしたことがある。そのことを小林氏に伝えると「なんだそうなの? なら、ちょっとぐらいキツい質問していいですよ」と言われたが、その目は笑っていなかった。

トークの主旨は、メキシコ麻薬戦争の現実を日本人は対岸の火事のように見てはいけないということでしたが、殺し合いで何万人も犠牲者が出たりとか、日本はそこまで酷くならないと思うんです。捜査官が脅迫されて捜査できなかったり殉職したりするような状況には。

日本はなりませんよ。そういうとき幹部は「仕事やめろ」って言います。間違いなく。

メキシコは覚せい剤や大麻の生産国で、地続きの隣国であるアメリカに供給していることが大きいですね。以前は、コロンビアのコカインがアメリカに密輸される際の中継地点でした。まわりが海に囲まれた日本とは根本的に異なるのでは。

うん。「地の利」ということはあります。日本みたいに遠いところから航空機で運んでくると察知されるリスクが高い。それに比べてメキシコとアメリカは国境を渡ればすぐですから。しかし、アメリカという一大マーケットがありながら、それでも日本が標的になっているという現実がある。それは麻薬が儲かるから。メキシコの組織の連中は、アメリカだけでは満足していないんです。だから日本の暴力団とくっつくようになった。

覚せい剤を発明したのは日本ですね。いまはメキシコ産のブツが日本に入ってくる。それまではどういうルートがありましたか?

簡単に言うと、最初は台湾ルートです。それが日本の圧力かどうかわかりませんけども、台湾で密造できなくなった。それで台湾の技術者が韓国へ渡ったわけです。その後、韓国から中国に移って、中国産が日本に来るようになりました。最近はインドからの密輸も多いし、もう世界中どこでも密造しています。覚せい剤は塩酸エフェドリンという原料を加工すればできる製品ですから。簡単に作れてお金になる。

簡単なのに日本で密造されない理由は。

作ってますよ。作ってるけど、そこまでのリスクを負うバカが少ないだけ。

製造罪は重いから。

無期(懲役)がありますからね。あとは臭いがしますから。

製造中に発生する臭いで発見されやすい。

そんな危険を冒してまでは作りませんね、日本人は。

トークをお聞きして、常用者のなかには、自分がキメた覚せい剤の産地までわかる人がいるというのが面白かったです。あまりに敏感すぎるというか。

奴らはわかりますよ。褒めるわけじゃないけど、そういう意味ではプロですから(笑)。体で覚えてるんだからね。仕出し地(密造地)どころか、不純物が何%入っているぐらいのことは言いますね。

例えば、混ぜ物にアンナカ(安息香酸ナトリウムカフェイン)が何%入っているとかわかってしまう。

いやぁ、いまはアンナカなんか使いませんよ。昔だったら、金魚の水澄まし(水道水を水槽に入れる際に使う)のハイポとかね。チオ硫酸ナトリウムって言うんですけど、そういうのを粉やガンコロ(結晶)にして覚せい剤に混ぜるんです。でも、混ぜ物の噂が立っちゃうと密売人は潰れます。だから、いまの密売人は混ぜ物を入れません。

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純度が高いブツを扱っている。

97%前後でしょうね。

映画では捜査官も命賭けだという現実が描かれていました。小林さんは37年間、捜査活動をやってこられて命を取られるような危険な目に遭ったことはありますか。

命を取られるなんて……むしろ、命を取ってやろうと思ってやってました。それは冗談ですけど、危険な目っていうのはありますよ。横浜の事務所にいたとき、いつも夜遅く帰ってましたけど、タクシーを必ず途中で乗り継いでました。

尾行されてるといけないから。

それに、家の前でタクシーを降りるなんてことは絶対しません。途中で降りて歩いて帰りました。当時はそのぐらい気を遣うのが普通でした。

経歴を調べさせていただきましたが、いろいろな武道の段をお持ちなんですね。柔道3段、空手5段、戸隠流忍法体術6段……。

恥ずかしいから言わないでよ(笑)。でも、他にもたくさんあるけどね。

腕っぷしの強さは、ヤクザ相手のガサのときなんかに、自信につながるものですか?

ガサのために武道がどうのなんて、そんなの全然ないですよ。やったら勝つに決まってるって肚はありしたけど。

捜査には協力者が必要ですね。いわゆるS(スパイの略)。

もちろん。

例えば、逮捕した犯人を脅したところでSにはならないですよね。以前取材したときに、Sと捜査官は人間性でつながっていると聞いたことがありますが。

全部人間性だよ。

それは逮捕後に、何らかのケアをしてあげたりとか。

だから、そういうね、世話をしてやるってニュアンスのことではないんだよ。我々の商売には「ネタ乞食」って言葉がある。「あの野郎、ネタ乞食だ」なんて言うんだけど。ネタは情報のこと。乞食って言葉は悪いんだけども、ネタが欲しいために調べ(取り調べ)を甘くしたり、そういう奴は仲間内から破門されます。それに捕まった人間だって、そういうの見抜きますから。だから厳しくやったほうがSになる率は高い。不思議なもんで、人生の機微としか言いようがないんだけども。

普通に考えたら甘くするように思うんですが。

全然。ばんばんやりますよ。調べで汗水垂らしながら「こん畜生、バカヤロー!」とか文句言ってた奴が、外に出たら、いいネタを持ってくることがある。「オヤジさんよう、あんときゃ頭にきたが気持ちはわかった。協力する」とか言って。面白いんだから人間って。だから、甘くするとかは全然違う。自分の協力者だってパクることがあるんだよ。じゃなきゃ、正義は立たないんだもん。

黙認しないと情報提供しないんじゃないですか?

ダメダメ。目をつぶるにも度合ってもんがある。

犯罪組織の資金源を断つため身体への害が少ない大麻を解禁すべきという意見があります。麻薬戦争の現場を見てきたこの映画のシャウル・シュワルツ監督もそういう考えです。小林さんはどう思われますか?

うん。解禁に関してはアメリカもやったし、他にも何カ国かありますよ。そういう世界的なムードはわかっています。でも、日本に関しては、大麻は他の薬物の入り口だという考え方をしています。まず、日本は解禁しません。絶対しません。そんなことしたら、「コカインは医療でも使ってるんだから解禁しろ」とか、みんなそうなっちゃうじゃないですか。私だっていま腰痛いから、ちょっと一発シャブでもヅケてもらえばピンてなるんですよ(笑)。これから飲みに行こうぜ!ってなっちゃう。本来、それだけ薬としては優秀なんです。ただ、作用が強ければ反作用も強いに決まってる。入り口を開けるわけにはいかない。だから日本は解禁しません。絶対しません。そう思いますね。

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2度おっしゃいましたね(笑)。最後に潜入捜査のことを……。

うん。僕、得意。

ヤクザの組に潜入するんですか?

当時はね。大阪万博と長野オリンピックのとき。あとは横須賀、横浜、静岡、四日市、御殿場でやりました。アパート借りて、長期間入るんです。もう土地っ子と同じレベルにまでなる。そんで友達を増やしていって、そのなかから優秀な協力者を作る。友達って言っても、みんな極道とかホステスとか。

新しい場所でイチから協力者を作っていく。それは盛り場とかで。

もちろん、毎晩飲んでね。で、コノヤローってわざと喧嘩売ってみたり。で、「おう、このごろ横浜から来た野郎は荒っぽいな」なんて噂になれば、こっちのもんでしょ。

偽の顔を売るんですね。

大阪万博のころなんて、いまみたいに携帯ありませんからね。ポケットベルって知らないでしょ?

知ってますけど、万博が1970年、ポケベルが出たのはもっとあと、たしか80年代じゃないですか?

いや、あの当時に始まったの(1968年にサービス開始)。ポケベル持って潜入して、事務所からベル鳴らされると、公衆電話から連絡する。そんな時代だったから、潜入先でも嘘の言いっぱなしで捜査ができた。自分がどんな嘘言ったか忘れちゃダメだけど(笑)。だから、自分の住所だってデタラメで通してましたよ。いまはインターネットで調べたら建物の写真まで出ちゃうから、昔よりはやりにくくなったね。私のときはいい時代だったかもしれない。

携帯やインターネットが普及して、捜査がしやすくなった面もあれば、相手に有利な面もある。例えば、おとり捜査だって、これは相手を騙して接触して現物を買うわけですから、現在地が特定されてしまうような状況では危なくてやりにくい。昔は、わざと取引の時間を遅らしたり早くしたり、そんなテをよく使いました。揺さぶって自分を有利にもっていかなきゃならない。「おぅ、いま大阪にいるからな、あと3時間50分したら東京に着くから、そのときやろうぜ」なんてね。それでも相手は品物を持ってくる。そこにはたしかに信頼関係があって、でも偽の信頼関係なんだけど。いいとか悪いとかじゃないんだよな。そこまでやらないと潜在している麻薬を顕在化できないんだから。仕事だって割り切ってやってました。いまから思えば、面白い人生だったような気がするよ。

interview & text by 浅原裕久

小林潔(こばやし・きよし)
1942年千葉県野田市生まれ。61年拓殖大学政経学部入学。66年厚生省関東信越地区麻薬取締官事務所横浜分室に勤務。その後、東海北陸地区捜査課、関東信越・捜査第一課、東北地区情報官付、近畿地区情報官、関東信越情報官主任情報官、近畿地区捜査第二課長、関東信越捜査第一課長を経て、2003年定年により退官

『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』

渋谷シアター・イメージフォーラムでの上映は5月29日(金)まで
フォーラム仙台 6月6日(土)より
名古屋シネマテーク 6月13日(土)より
フォーラム山形 6月27日(土)より
沖縄桜坂劇場 6月27日(土)より

その他上映館は公式サイトでご確認ください