料亭での修行はいかがでしたか?

感謝しかありませんし、そこで培ったものすべてが現在に繋がっていますが、やはりキツかったですね。

住み込みですか?

はい。先輩と一緒の6人部屋です。オナニーもできない。

はい(笑)。

で、最初に高下駄を履かされるんですよ。2日目、3日目になると腰が痛くて、痛くて、もう立てない。で、修行期間は5年って決まっているんですけど、そのとき考えたのが、「今日は、365日×5年の、たった3日目か」と。

はい(笑)。

これは懲役かと。絶望的な気持ちになりましたね。

いつ頃から高下駄は慣れるものなのですか?

2〜3ヶ月したら走れるようになりましたね。ドリフトもできるくらいに。

アハハ!!

あとは蒸し缶ですね。蒸し缶っていう、茶碗蒸しとかを大量に蒸す、めちゃくちゃでかいステンレスの器具があるんですけど、ここにお湯が何リットルも入って、ガンガンに沸騰しているわけですよ。それを持って片付けなくてはならない。でも、ちょっとでも肌が当たると大火傷してしまうんです。でも持たれへん。重たくて、重たくて。

うわぁー。

先輩らは、「どうすんの、ソレ」って見てるだけで。人生で初めての辱めを受けましたね。でもこれが持てるようになるんですよね。人間ってすごい。

先輩は厳しかったですか?

仕事中は厳しかったですけど、よくしてくれましたね。それこそ休みの日は、クラブに連れていってもらったりして、仲良くしていました。

でもオナニーも安心してできないんですから、女の子なんてもってのほか。

そうですね。もちろん、連れ込むなんてできないです。でもチャレンジャーの先輩もいましたし、僕もたまにはチャレンジしたり…ああ、あまりいえないヤツでした(笑)。

5年間の修行を経て、そのあとはどうされたんですか?

遊びたくなりまして(笑)。

あらー、料理人は諦めたんですか?

うーん、諦めたというか、料理の世界は無限ですけど、料理人は厨房のなかで一生が完結するじゃないですか。それが自分の人生には見えなかったんですね。もっといろんなところに行きたかったし、もっといろんな人にも会いたかったし、見たくなったんです。あと音楽も好きだったんで、そっち中心の生活をしたくなったんです。

どんな音楽が好きだったのですか?

元々はロックだったんですけど、RUN-D.M.C.と出会ってからはヒップホップですね。

じゃあ、そこからは自由生活に突入と。お母様が卒倒するような。

まぁ(笑)。アメリカ、タイ、沖縄、東京にも住んでいましたし、ストリッパーの子と付き合っていたので、いっしょに全国行脚もしていました。まあ、ヒモみたいなもんなんですけど、ストリップ業界では、〈マネージャー〉っていいます(笑)。

へぇー。

ストリップ業界は面白かったですよ。〈コース切り〉っていうミスターXみたいな人がいるんですよ。決して顔は出さないんですけど、踊り子さんたちの事務所スタッフみたいな存在ですね。各地を回っているあいだに、謎のミスターXから電話がかかってきて、「次は岡山行って」とか「次は静岡」とか、指示が来るんです。

では事前に行程は決まっていないと?

そうなんです。ストリッパーの1週間って、10日区切りになっているんですけど、中日くらいになると、電話がかかってくるシステムなんです。あとは特殊な夫婦もいましたね。本番生板ショーをやる夫婦なんですけど、お互い性器にピアスを開けて。〈陰獣セクシーピアス〉って名のコンビでした。

アハハ!!!!

ありとあらゆる人がいましたね。「俺も昔は映画を撮りたかったんだよ」って語る照明さんとか。ブルースが流れていましたね。

哀愁ですねー。

あとストリッパーも色々いて、風俗嬢の延長でやっている子もいれば、付き合っていた彼女なんかは、完全に昔気質の踊り子で、選曲から振り付けまで自分で考えていました。マイルス・デイヴィスで踊っていましたから。

カッチョイイですねー。

照明の当たり方まで計算していたから、ブルースのおじさんにもビシビシ文句いってました(笑)。本当にいろいろと勉強になりましたね。

東京では、どちらに住んでいたんですか?

大阪の仲間10人と出て来たんです。世田谷と新大久保の2ヶ所に部屋を借りて、行ったり来たりしていました。

東京では何をしていたんですか?

当時は、フリーマーケットが全盛だったんです。スポーンの人形が高値で売れたり、リーバイスが20万円で売れたり、そんな時代だったんです。だから僕たちも店を出していました。それこそタイとかで買ってきた色んなものを売ってましたね。

何歳くらいまでそんな生活をされていたんですか?

30過ぎくらいでしょうかね。

でも、そこから『ニワトリ★スター』へ繋がる気配をまったく感じないんですけど、どこかで転機みたいな時期があったのですか?

ありました。タイで知り合った友達が、今や国民的グループになったTHAITANIUMっていうヒップホップグループをやっていまして、その子たちと一緒に、TOM YUM SAMURAIっていう多国籍の別ユニットを結成したんです。そのデモテープを、面白い映画とか書籍の出版をする会社の社長さんが聴いて、呼び出され、「オマエ、なにがしたい?」「音楽です」「わかった」と。そこから金銭的なことも含めてサポートしてくれるようになったんです。

すごい展開ですね。

更にその会社は、格闘技団体のPRIDEさんと近かったんですね。で、PRIDEさんが映画を撮りたいと。そしたら「オマエは、面白い歌詞が書けるんだから、ちょっと映画も書いてみろ」と、いわれまして。

シナリオってことですか?

はい。元々文章を書くのは好きだったんで、ワードで100ページくらいのものを出したんです。ちょっと変わった時代劇で、それが『殴者』なんですけど。

すごい! いきなり採用ですか!

はい。いちおう原作者なので、会議に行くと「先生」って呼ばれるようになりました(笑)。

この前までフリーマーケットだったのに! 

でも映画なんてわからないじゃないですか。会議でもなにを話しているのかまったくわかならない。わかったようなフリはしていましたけどね。

はい(笑)。

ただ、色々と大人の事情もわかるようになりました。すべて自分の思うように進められないこともわかりました。でもどこかで、ちょっとモヤモヤしたものが残っていたんですね。そしたら社長がクリスマス時期に「プレゼントやる。1本好きなように撮れ」っていってくださったんですね。それが『ハブと拳骨』なんです。

20代はマネージャーだったのに!! 

ですね(笑)。

『ハブと拳骨』から『ニワトリ★スター』まで、10年もの月日が流れていますが、そのあいだはなにをされていたんですか?

色々ありましたけど、いち番大きな変化は、東京から大阪に戻ったことですね。

どうして戻られたんですか?

弟みたいに可愛がっていたTERRY THE AKI-06というラッパーが亡くなったんです。すごい喪失感が生まれて、なんだか時代の節目みたいなものも感じたので、1回ルーツに戻ろうと考えたんです。ただ僕は、そのTERRYという男の葬式も通夜にも行かなかったんです。死に顔を見るという行為が嫌だった。でもその結果、その死というものを頭では認識していても、顔を見たわけでもないし、冷たくなった身体を触ったわけでもない。動物として感じることをすっ飛ばしてしまったから、なんかおかしくなってしまったんですね。気持ちがちぐはぐになってしまったんです。すでに『ニワトリ★スター』も書き始めていたのですが、そのおかしくなった部分を埋めて、新しい1歩を踏み出すための10年でしたね。

TERRYさんとのご関係は、『ニワトリ★スター』の草太と楽人のような感じだったのですか?

そうですね。TERRYの映画ではないんですけど、楽人にTERRYを投影しているし、草太にも自分を投影しています。

『ニワトリ★スター』を撮り終えたことで、おかしくなった部分は埋まりましたか?

はい。心のなかで自分の葬儀を終えて、「すまんけど、もう行くよ」って気持ちになれました。

道草アパートメントのことも教えてください。こちらも大阪に戻られてから、始めたんですよね。

はい。元々お爺ちゃんの持ち物で、もうボロボロだから解体する予定だったんです。銀行からも「潰してコインパーキングにしろ」といわれていましたし。ただ、ヒップホップ・カルチャーにどっぷり浸かってきましたから、そのアパートを蘇らせるようにサンプリングする、再生できないかと考えたんです。それで仲間の一級建築士に相談しまして、解体予算は再生予算に使う、コインパーキングの売上は、賃料で賄うなど、新しい案を出したんです。収益も変わらないですから、銀行もなにもいえない。そんな形でスタートしました。今はカフェバー、アパレル、アンティークショップ、音楽レーベルなどが入居しています。

さすがスーパー大家さんですね!!

ただ、まだ未完なんですよ。サグラダ・ファミリアと同じなんです(笑)。

どういうことですか?

やっぱりいろんなもの、入居される方などで、できあがっていくものなので、建造物としては最低限機能していますけど、まだまだ先が見えないんです。その建築士も「ゼロからわかっていて、それを最後までやるのが建築だけど、ここには答えがない。答えがないことを勉強させてもらった」っていうぐらいのアパートなんです。ぜひお越し下さいませ(笑)。

〈スーパー大家〉に〈監督〉も加わって、お忙しい日々ですね。今後のご予定は?

僕としては、次作の構想も始まっていますし、GUMとしては、新しい日本の映画スタジオとして、時代に落書きをするというか、そういう感覚で進めていきたいし、始めていきたいですね。ミラ・マックスも始まりがあって、タランティーノなんかを出し、そして今がある。そういうのを日本でもやりたいですね。まあ、プロデューサーは、セクハラ騒動で大変ですけど(笑)。

今日は本当にありがとうございました!

今日は本当にすいませんでした。こんな話で大丈夫ですか? 本当に結構やらかしているので。すいません。

お母様を悲しませたくないのですから、まったく問題ありません!

もっと頑張って、偉くなって、出世したら、ブチまけますので、それまでお待ちください。そのときまでよろしくお願いいたします。

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