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Who Are You?: 小城昭根さん(24歳) 無職

「実はあなたのお父さんは日本人じゃないの、と言われまして。じゃあ誰なの?、と訊いたら、フレディー・アギラよ、と」
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photos by SUSIE

最近自転車通勤を始めたので、人とすれ違うよりも、人から追い抜かされる感じが多いです。今日はグランジ・ファッションの女の娘に抜かされました。ずっと彼女の背中を見ながら走りました。速いんですよ、グランジちゃん。スゲエ顔みたい、スゲエ。でも信号に引っ掛かったのでスーッと行かれちゃいました。あーあ、アレは絶対可愛かった。グランジ・ファッションの新垣結衣、見たいでしょー。明日また会えるかな。もっと鍛えようっと。

日々の生活の中で、私たちはたくさんの人たちとすれ違います。でもそんなすれ違った人たちの人生や生活を知る術なんて到底ありません。でも私も、あなたも、すれ違った人たちも、毎日を毎日過ごしています。これまでの毎日、そしてこれからの毎日。なにがあったのかな。なにが起るのかな。なにをしようとしているのかな。…気になりません?そんなすれ違った人たちにお話を聞いて参ります。

小城昭根(こじょう あきね)さん(24歳):無職

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(上の写真を見て…)変わったマンガの読み方されますね。いつも二冊重ねて読むんですか?

いえ、先ほど電車の中で編み出した技です。二巻から三巻を続けて読みたかったんで。

でも三巻になったら、二巻は持たなくてもイイんじゃないですか?

あ、そうですね。それは気がつきませんでした。

お住まいはどちらですか?

多摩センターです。パルテノンがあるところです。パルテノン自体は良く知りません。

ずっと多摩センターなのですか?

いえ、八王子の京王堀之内が地元です。今は中学校からの友だちと一緒に多摩センターに住んでいます。

では八王子生まれの八王子育ちと…。

いえ、生まれは僕、フィリピンなんです。

あ、それで日本人離れしたお顔立ちなんですね。お父さん、お母さん、どちらかがフィリピンの方だと。

えっと、えー、僕、お父さんが三人いるんです。

ハイ。

順序立てて話してもいいですか?

ハイ。ぜひ、お願いします。

日本人の父親とフィリピン人の母親がおりまして。

ハイ。

僕が長男で、下に二人おります。フィリピンに住んでいたんですが、両親が離婚しまして、で、父親は弟を連れて大阪へ。僕と妹は小学校二年の頃に母親に連れられて東京に来ました。両親は親権問題で裁判をしていたんですが、小五の頃に母親が勝って、弟も一緒に東京で住み始めました。で、やっと落ち着いた感じになったんです。しかし中学になったある日、僕はGRENN DAYとかが好きになってまして、母親に「僕、ギターやりたいよ」って言ったんです。そしたらお母さんが急に深刻な顔になって「夜、話があるから部屋に来なさい」と。

ええ。

楽器やるのってそんなに悪いことなのかなぁ…なんて思っていたんです。そしたら「実はあなたのお父さんは日本人じゃないの」と言われまして。「じゃあ誰なの?」と聞いたら、「フレディー・アギラよ」と。「いや誰?」と思うじゃないですか。そしたらフィリピンでは神だとか崇められているギタリストだと。僕が「ギターをやりたい」と言った瞬間に、母は「もうコレは隠しきれない!DNA強過ぎる!」と思って告白したそうです。それでフレディー・アギラのこと調べたらスゴイ人だと分かって。顔も調べたら、僕でした。

…これ、笑ってもイイ話ですか?

もちろんです!

(画像検索して…)ああ、似てますね!あれ?「息子」って曲があるじゃないですか!もしかしてコレは…

残念ながら僕とは関係ありません。でも私も「もしかしたら」があったので聴きましたが。

そして母の告白から二年後にアギラに会いに行ったんです。認知してもらおうと。もしかしたらお金も貰えるかもしれないですし。で、彼は僕のことを見た瞬間に「あ、オレのだ」と。

ヤッター!

会う前フレディ側からは「DNA鑑定をして欲しい」と言われていたんですが、似てるレベルが凄過ぎるので「もういいや」って、認知してもらいました。でもお金云々はそれほどありませんでした。その後お母さんは再婚したので、父が三人いるんです。

なるほどー。ではハーフではなくて、純然たるフィリピンの方なんですね。小二で日本に来たころのことは覚えていますか?

着いた日にカップヌードルとおでんを食べて。衝撃的なうまさを覚えています。

日本語は喋れたんですか?

いえ、全く。八月の末くらいに来たんです。で、来週からは学校だと。それで母親が「言葉が分からなければ、あなたの気持ちも相手に伝えることが出来ない」と。それで「マンガ読め!」「テレビ見ろ!」って突貫で日本語を叩き込まれたんです。

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イジメとかありませんでしたか?

スタートからありました。まだ外国人に対して寛容な感じでもなかったので。泣いて帰ったら母親に怒られました。「泣かす側になりなさい!」って。「厳し過ぎるなぁ」なんて思いながらも、めちゃくちゃ本気で日本語覚えました。それで一週間で言葉をゲットして、いじめる側になれました。

強いですねー。そして中学では先ほど言われた通りにGREEN DAYを。結局ギターは買ってもらえたんですか?「お父さんみたいになっちゃダメ!」なんて。

それは無かったです。最初は普通にアコースティック・ギターを買ってくれました。で、頑張りによって、ランクを上げるとか言って。

その頑張りはお母さんが審査するんですか?

そうなんですけど、母親は楽器が全く分からないんです。たまに夕食のときに「もうF弾けるんだけどなぁ~」とかってアピールするんですけど、伝わりませんよね。あと「コピーするから聞いてよ」とか言って。

何をお母さんに聞かせるんですか?

NIRVANAとかWEEZERの「Say it ain’t so」とか。

ははは(笑)!エモいですね!

はい。あと「英語の歌詞教えてー」って母親に訊くフリしながら、オレはこんなに音楽に真剣なんだぞー!…と、またアピールです。そしたらフラっと「お茶の水行くよー」とか言われて。「え?い…いいんですかー!!」って。

良かったですね。バンドはやってたんですか?

はい、中学からやってました。3ピース・バンドです。

バンド名聞いていいですか?コレって結構恥ずかしくありません?

はい、いえ、大丈夫です。「BLUE SPRING」です。先に言います。「青・春」です。

…大胆過ぎて、どこに気持ちを持っていったら良いのか分かりません。さて、NIRVANAのコピーもされていたとのことですが、小城さんの世代でもやはり引っ掛かるんですね。カートはもう死んでましたよね。どこが魅力なんですか?

やはり音が一番です。あとはヴィジュアル、そして若くして世を去ってしまったこと…「何だ、コレ!」って衝撃を受けました。

オリジナルもやってましたか?

はい。八王子で活動していたのですが、同世代に府中のバンドで「ワイルドパラドックス」ってのがいまして、知らない曲をやってたんです。訊いたらオリジナルだと。僕ら三人衝撃を受けまして、すぐにコピー時代をやめました。

どんな曲を書いていたんですか?ヤングジェネレーションの怒りとか?

いえ…なんていうか、もっと甘いヤツで…。

歌詞を教えてください。

「ランプ」って曲です。

ああ もしも 願い事叶うならば

君と 二人で いたい

何のランプですか?もしかして…

はい、魔法のランプです。

素晴らしいですね!もっとください!

「ヒュー」って曲です。

ヒュー ヒュー おまえ

あいつのこと 好きなんだろ

彼女が出来なくて、悔しくて「ヒューヒュー」と、からかう曲です。でもオレも本当はそいつのことが好きって曲なんですけど。

ありがとうございます!もうイイです。彼女いないと辛い時期ですものね。

いえ…いたんですけど。

いんじゃん。同じ学校の娘ですか?

はい。高一の頃に、お互いモンパチが好きで。それ繫がりで付き合うようになりました。

八王子流デートを教えてください。

いえ、あまり出かけることはなく…お分かりだと思いますが、僕喋るのが大好きなので、ずっと部屋で喋ってました。

交際は順調でしたか?

いえ、僕高二で学校辞めたんです。そのタイミングでフラれました。

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何で学校を辞めたんですか?

高三に上がれなかったんです。二単位足りなくて。

何の教科ですか?

国語です。

あらー、小二のときは頑張ったのにねー。留年しようとは思わなかったんですか?

そうですねー。なんか先生に「まずは頭を下げろ」とか最初に言われて。それは違うなーと思って。大検受ければいいかなって。

お母さんは?

めちゃくちゃ怒られました。尋常じゃないくらいに。高校だけは出るって約束だったんです。僕は高校卒業しても大学は行かない、定職も就かない、ってずっと言ってたんです。それに対して母親は理解してくれていたんですが、高校中退となると約束が違うわけで。でも大検のこと言って、高校卒業者と同等の資格を得ることが出来るので、なんとか許してもらったんです。

大検は受かったんですか?

はい、受かりました。

バンドはどうなっていたんですか?

結構頑張ってまして、当時八王子の頂点がマキシマム ザ ホルモンだったんですよ。で、僕らは「八王子第三世代だよねー」なんて言われて嬉しくて。かなり順調だったんですけど、そのタイミングでドラムが辞めたいと。それでBLUE SPRINGは解散してしまいました。でもそのあと新しいのを始めて。

なんて名前ですか?

TISSUESって言います。

動画見つけました。また「ランプ」ですね。載せていいですか?

はい、もちろん!

TISSUESは続いたんですか?

やったりやらなかったり。あとウザいと思ってくださって結構ですが、僕、音楽の才能は絶対ある!ミュージシャンになれる!って思ってるんで。「今やんなくてもいいや」って思い始めた時期なんです。

それとこのヴォーカルがヘタ過ぎで。コイツとは本気でやらなくていいなと。あともちろん「オヤジのDNAもあるからいつでもー」って。

それは間違いないですね。ではバンド活動も落ち着いて、何をやってたんですか?バイト?

はい。原宿にあるアイドルの写真を売る店で。ちょっとグレーなところなんですが。

アイドルに詳しくないといけませんね。それまで興味は無かったんですか?

はい、勉強しました。あっちゃんやら板野やら。グラビア系の方が好きでしたけど。

この仕事は長かったんですか?

そうですね、秋葉原店の副店長みたいなところまで行きました。ただ、ちょっとこれでいいのかな感が出て来て。行き詰まっていて。帰っても何もすることないし、彼女もいませんでしたし、マンガ読むことくらいで。それでプログラミングとかって出来ないかなーって思って探したらOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)で、いきなり仕事をもらって、サイトを構築することになったんです。ただその段階でちょっと躁鬱病にかかりまして。

あらー。

状況を母親に話したら「あんたそれ完全にかかってるわよ」って。昔、母親も鬱病になったことがあったので。

どんな状況だったんですか?

OJTの打ち合わせとかではガンガン喋るんですが、その帰り道には死に方考えてしまったり。生写真の仕事も続けていたんですが、編集の方も手伝い始めたんですね。それがかなり劣悪な環境で。カメラマンは怖いし、徹夜も当たり前みたいな感じで。そんなのが積もって積もって気づかずに。それで実家に帰ったんです。

ずっと家に籠っていたんですか?

はい。でも家にはお金を入れなきゃならないし、貯金もどんどん無くなるんで、サイトの仕事をちょっとしながら。でも母親は分かってくれたんですが、父親はあまり理解していないようで。家でプログラミングの勉強するって言っても、身体動かさないじゃないですか。「それは仕事してない」って感じで。厳しく言われることはなかったんですが、「家にいるだけじゃないか」って。だから父親の仕事を手伝ったこともありました。

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病気は良くなりました?

はい。いつ頃から良くなったのかは分からないのですが、とにかく休んだのが良かったと思います。母と会話もたくさん出来ましたし、ちょっとずつ友だちとも話せるようになって。でも本当にこんなことが起るなんて思ってもいませんでした。明るい人生というか、明るくポジティヴにやって来たつもりなんですけど、俺にもこんなの来るんだなって。

現在のお仕事は?

無職です。

ではなにかやってますか?

シナリオ学校に通い始めました。この年明けに「脚本」というものに気付いたんです。僕は脚本家になります!!

教えてください。

年末になって…もう一年が終わる…それなのにお金も無くて。「やばい、やばい、またアイツがやって来る!」「まだ死にたくなーい!!」って、もがいてたんです。そしたらいつ買ったのかも覚えていないのですが、シナリオライターの新井一が書いた「シナリオの基礎技術」って本をパラパラしてたら、そこに「シナリオは映像作品の大元」みたいなことが書いてあったんです。で、これまで僕は色んなことに触れて来ました。そしてめちゃくちゃ感化されやすいのでマンガを読めばマンガを描き、小説を読めば書き、ゲームをすればプログラマーに憧れ、動画を見れば撮ってみたり…でもどれをやっても「なんだかなー」という感覚。監督ってのも良く分からないし、プロデューサーっても人集められる人望ないし。そしたら脚本家ですよ。「これじゃね!?」って。マッチ感がハンパなかったんです。僕、昔から頭おかしいって言われていたんですけど、それを発揮出来る場所じゃん!コレ!コレ!コレ!って。それでその新井一が建てた学校がシナリオ・センターと言うんですけど、そこに行ってやろうということにしました。決まっているんです、僕が脚本家になるのは。

でもミュージシャンになるって言ってたじゃないですか!?

それがですね、これマジで奇跡かと思うんですが、僕の母親、若い頃脚本書いてたんです。

出た!!

こないだ話したら、またフレディー・アギラのときの顔みたいになって、「…私もずっと書いてたのよ」って。ま、今回はほっこりした感じでしたが。「頑張りなさいよー」って。それに音楽もいつでもイイんです。ジイちゃんになってでも。絶対良いメロディーは書けるんで。ちなみに今は脚本の傍ら「めいちゃん」というバンドをひっそりとやっています。

めいちゃん…か。ま、それにしても本当にいいお母さんですねー。

うまく転がるんです。なんか感情って感染するじゃないですか。だからもう脚本家へのレールに乗っちゃってるんです。4、5年以内には古沢良太と対談してるでしょうね。

学校はどうですか?

喋ったこともない人を勝手にライバル視して一人で燃えています。次の課程に行くにはまたお金がかかるので、仕事も見つけないといけないのですが。でも自己紹介のときに「僕、無職なんで仕事ください」って言ったら、同期のオバさまからお声がかかって。「私、タイ・レストランを経営しているんだけど、代々木公園のタイ・フェスティバルにも出店するの。だから手伝ってくれない?」って。やっぱりな…やっぱり俺は巻き込むんだよ…って。

今週(5/16,17)ですよね?載せちゃってもいいですか?「コイツだ!」って、小城さんを見に来る人がいるかもですよ。

全然構いません!僕、中学一年から著作権フリー宣言してるんで。日本人初だと思います。電話番号載せても構いません。ツイッターには載せてますし。

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なんすか、それ?なんでまた?

なんでもやりたいからです。幼いころからやりたがりなので…と、思っていたんですが、これって全てシナリオに繋がるじゃないですか。全部ネタになるじゃないですか。だから必然なんです。それに現在、脚本家業界って右肩下がりらしいんです。オリジナルを書ける人が少なくなっている、原作に頼り過ぎていると。…ここに救世主がいます。冗談じゃないですよ。

ハイ、分かってます。ではメシアから最後にひとこと。

あの、お読みになっているみなさま、仕事下さい。多摩市におります。都内・三多摩、どこでも参ります。お願い致します。

小城さんへお仕事くださる方はVICE Japanまでご連絡ください。御本人とお繋ぎ致します。

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