〈精子が泳いで卵子にたどり着くと妊娠する〉。研究者たちは、精子の働きを活かした新たながん治療法を研究している。『ACS Nano』の2017年12月号に掲載された論文によると、精子は、子宮頸がんをはじめとする、婦人科疾患の治療に役立つ可能性があるという。

従来の化学療法や放射線治療は、がん細胞だけでなく正常細胞まで傷つけてしまうため、吐き気、嘔吐、脱毛など、多くの副作用を伴う。副作用を最小限に抑えるために、研究者たちは、異常細胞に抗がん剤を直接届ける様々な投与法を考案している。しかし、精子が脚光を浴びるのは、同研究が初めてだ。

ドイツ、ドレスデン・ライプニッツ固体・加工材料研究所(Leibniz-Institut fuer Festkoerper- und Werkstoffforschung (IFW) Dresden)の研究員たちは、ウシの精子を小さな魚雷型装置として、シャーレに載せた擬似腫瘍に放ったのだ。同論文の著者であり、IFW所属の研究員、マリアナ・メディナ=サンチェス(Mariana Medina-Sánchez)博士によると、実験では、一般的な抗がん剤〈ドキソルビシン塩酸塩〉に3500の精子を放ち、精子膜内部に薬剤を浸みこませた。最終的に、98%の精子が薬剤を吸収した。薬剤は、特に、精子頭部を形成する細胞質と核に多く浸みこむという。

その後、研究チームは、ナノテクノロジーを利用し、3Dプリンタで造形出力した、チタンと鉄の防護装置を精子に装着した。〈マイクロモーター〉でもある防護装置は、微細な筒と湾曲する4枚のアームで構成されており、卵子を目指す、薬剤の浸みた精子を保護するよう設計されている。(以下画像参照)

放出システム. ACS Nano.

その後、研究チームは、微弱な磁場を利用して、防護された精子をHeLa(ヒーラ)細胞塊に誘導した。

精子は、擬似腫瘍と衝突すると、攻撃を開始する。装置についた4枚のアームが湾曲し、薬漬けの〈スイマー〉が腫瘍に直に放たれるのだ。精子の攻撃開始から72時間で、がん細胞の87%が死滅した。別のシャーレでは、精子に吸収させたのと同量の薬剤に擬似腫瘍を浸したが、同じ時間にもかかわらず55%のがん細胞しか死滅しなかった。研究レポートによると、薬液に浸すだけでは細胞膜までしか浸透しないが、精子は、細胞核まで薬を届けられるという。

精子ロボは、精子をがん細胞の中に放つ. ACS Nano.

ヒトパピローマウイルス(HPV)を原因とする子宮頸がん、その他、婦人科疾患の治療ツールとして、精子には潜在能力がある、とメディナ=サンチェス博士は分析する。まず、力強い〈スイマー〉は女性の生殖器官内で生き残れるようにできている。「精子には、〈泳ぐ〉能力があり、腫瘍組織まで辿り着けます。腫瘍の周囲だけではなく、腫瘍内部の細胞まで薬剤を届けられるんです」

卵子と融合する精子は、非生殖細胞とも融合できる。「つまり、がん細胞と融合して、治療薬を細胞内に届けられます」と博士。精子は、吸収した薬剤を、濃度を下げずに搬送できる、と治療法研究の課題でもある薬剤の希釈問題について、論文内で博士は論じている。

加えて、精子は、彼らが実験した薬剤への免疫があるそうだ。ドキソルビシン塩酸塩は、がん細胞のDNA複製とタンパク質合成を阻害して死滅させる薬剤だが、精子の寿命は短く、DNAも複製されないため、薬剤の影響を受けない、と博士はいう。

しかし、博士と研究チームは、課題を抱えており、女性による臨床試験は、まだ先になりそうだ。まずは薬剤の量を増やし、培養液内でがん細胞と正常細胞を使って実験し、がん細胞だけを死滅させられるか否かを確認しなければならない、と博士。また、微弱な磁力とはいえ、数千もの磁石を女性の体内に残すわけにいかないので、精子ロボを完全に生分解可能にしなければならない。博士によると、ウシの精子で実験したが、治療には男性の精子を利用する可能性もあるという。

ここで、別の問題にも突き当たる。精子の生殖機能だ。精子が女性の子宮頚管から子宮内へ入り、卵管に取り込まれた卵子と出会うと妊娠する。つまり、この治療で誤って妊娠してしまう可能性はないのだろうか。

「目標は、生存能力がある、健康な精子の使用です。〈健康な精子〉とは、受精に至る精子です」とブラッドリー・コー(Bradley Corr)医師。同医師は、今回の研究に参加してはいないが、コロラド大学デンバー校で婦人科腫瘍学の助教を務める産婦人科開業医だ。「このシステムだと、治療を受ける患者が妊娠する可能性を否定できません。ただ、回避する方法はあるでしょう」。例えば、ホルモン避妊薬のように、ホルモン抑制治療で、患者の排卵を阻めるという。そうすれば、受精可能な卵子も排卵されない。

医師は、精子ロボを、卵子ではなく腫瘍に導くので妊娠の可能性はきわめて低い、という点で、コー助教とメディナ=サンチェス博士は意見を同じくする。もし、精子が受精すれば、卵子内に抗がん剤が運び込まれ、決して、いい影響は及ぼさないだろう。「データがないので、実際、どうなるかはわかりません」とコー助教。しかし、理論的には、抗がん剤による流産、胎児への悪影響、受精卵の成長を阻害することもある。

コー助教によると、精子ロボは、決定的な治療法というよりも、様々な薬剤搬送法の開発に役立つ可能性があるという。「特に、ナノ技術を利用した薬剤搬送システムです、正しい細胞に治療薬をより効率良く目的の細胞に届ける方法は、がん治療研究におけるホット・トピックです。本研究は、活用できる搬送システムを確立した、というより、ナノ粒子運搬システムのさらなる改良に役立つだろう、と私は予想しています」

この研究が決定的な治療法になるか否かはさておき、がん治療研究の進歩には貢献している。「バイオ・ハイブリッド搬送システムには将来性があります。人工のマイクロ構造体、ナノ構造体の性質と、細胞、微生物など、生物の構成要素の長所を組み合わせているからです」とメディナ=サンチェス博士。人工構造物により、磁場や超音波、光を利用して、細胞や微生物を病変部位へ導ける、と博士は付け加えた。

「精子細胞の長所を生かした、より効率良く機能する薬剤搬送システムの実現に向けて、一歩踏み出したところです。精子細胞は、将来、生物医学の分野での様々な応用が見込まれます」と博士。「早急に、解決すべき問題点を片づければ、精子ハイブリッド・システムは女性生殖器官系の疾患の治療にうまく利用できるはずです」